「一人称の幸せ」は周囲の人と比べてしまいがち

幸せを感じるのはどんなときでしょう?おいしいものを食べたときや、欲しかったモノを買えたとき…。いろいろ思い浮かぶでしょう。そのときの場面を想像してみてください。あなたは一人でしょうか?

おいしいものを食べるとき、一緒に食事を楽しむ家族や友人がいれば、「おいしいね!」とか「これってどうやってつくるの?」など会話が弾み、その人たちの幸せそうな様子をみるだけで自分も幸せと感じるのではないでしょうか。自分が欲しかったモノを買うのは確かに嬉しいですが、プレゼントとして買って、贈った相手が喜んでくれると、とても幸せな気持ちになりますよね。

自分一人だけが感じる幸せは、いわば「一人称の幸せ」です。お金や地位、名誉などはそんな幸せかもしれません。一人称の幸せは、「あの人の方が私より裕福」「なんであの人は私より地位が高いの?」と、周囲の人たちと比べたり競争したりしてしまいがちです。だから、なかなか満足できず落ち着きません。得たものを失うことが怖いと感じれば、「もっと、もっと」と他者よりも上へ、他者よりも多くと、身も心もすり減らし、逆に不幸の源泉になりかねません。

他者と共有できる幸せは連鎖していく

では、他者に喜んでもらえること、いわば他者と共有できる幸せはどうでしょう? それこそが自分の幸せだとすれば、家族や友人など幸せを感じてくれる人が周囲に増えれば増えるほど、自分もますます幸せになっていくはずです。他者が存在するかぎり失われることのない幸せですし、比べたり競ったりする必要もありません。他者を幸せの源泉にするか、不幸の源泉にしてしまうのかは自分次第なのです。

一人称の幸せは、自分の死とともに消えてしまいます。でも、他者と共有できる幸せは違います。連鎖していく可能性があります。

例えば、高校や大学で勉強したくても経済的な理由で進学できない子どもたちのための教育資金として遺産を使ってほしいと考え、支援活動をしているNPOに託したとしましょう。支援を受けて進学した若者たちは喜びます。遺産を託してくれた人に感謝し、自分も他者のために何かしたいと思ってくれるのではないでしょうか。そんな若者たちがまた他者、世の中のために活動して、さらにその恩恵を受けた人たちが感謝してまた周囲の人たちと幸せを共有していく……。遺贈寄付でお金に託した「思い」が他者を幸せにして、それが延々とつながっていく。そんな未来が思い描けたら、それだけで幸せな気持ちになりませんか?

「ペイ・フォワード 可能の王国」という、日本では2001年に公開された米国映画がありました。主人公は中学1年生の男子。社会科の授業で先生から「自分の手で世界を変えたいと思ったら、何をする?」という課題を出されます。主人公が提案したのは、自分が受けた善意や思いやりをその相手に返すのではなく、別の3人に渡すという「ペイ・フォワード」だったのです。主人公のこの考えと行動が、次々と人々を幸せの輪でつなげていくといった内容でした。先ほどの例えで示した可能性そのものの内容といえるでしょう。「ペイ・フォワード」とは、日本語でいえば「恩送り」のことです。

遺贈寄付は自分の「生きた証」となる

コロナ禍で、自分が一人では生きられない、多くの人の支えによって生きていることに改めて気づかされた方が多いと思います。無数の「つながり」のなかで私たちは生きています。まさに「おかげさま」によって暮らしています。そのことに感謝して世の中に恩返ししたい、少しでも他者の幸せに役立ちたいと考え、この世を去るときに自分が「生きた証」としたい。遺贈寄付とはまさにそうしたお金の使い方です。
遺贈寄付という「幸せ」の選択肢があることを、少しでも多くの方に知ってほしい。人々が笑顔で暮らせる社会に遺贈寄付が役立てばいい、そう願っています。

(記事は2021年8月1日時点の情報に基づいています)