目次

  1. 1. 遺産分割協議書へ押印の前日
  2. 2. 家族と日頃から思いやりのあるコミュニケーションを

私の事務所に相続の相談に来る依頼者は年に数十人です。
紛争性のありそうな事案については関与せず、必要に応じて調停等の手続きを説明したり、弁護士を紹介したりしています。従って、手続きに関わるのは原則として、当事者全員が法的手続きに納得し、合意している円満な案件だけです。

ところが、遺産分割協議の内容に納得していても、実際に押印する段階で手続きが滞る事例が年に数件あります。共通しているのは、心の問題です。
よくあるケースを紹介しましょう。

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青森県に住む75歳の男性が心筋梗塞で急死しました。
男性は妻を早くに亡くしており、法定相続人は45歳の長男、40歳の長女、30歳の次女の三人です。きょうだいの話をきくと、男性は地方公務員として堅実な人生を送っていたようです。残した財産は、預貯金が3000万円ほどと、長男と同居していた一戸建ての土地建物だけでした。

長女、次女は結婚して家を出ており、不動産の相続は希望しませんでした。
遺産分割協議は問題なく終わり、預貯金を三等分し、不動産は長男名義とすることになりました。残すのは遺産分割協議書への押印と登記申請だけです。

押印予定日の前日、次女から連絡がありました。
話したいことがあるので時間を取ってほしい、と言います。
会ってみると次女は「遺産分割協議書にまだ押印したくない」と小さい声で、はっきりと主張しました。条件に不満があるのか尋ねると、そうではないというのです。

時間をかけて聞いてみると、次女は過去を少しずつ語り始めました。
母を10歳で亡くし、結婚して家を出るまでずっと家事をしなければならなかったこと、参観日や運動会に誰も来てくれず、一人で寂しかったこと――。
負担をかけたくないという思いから、気持ちをきょうだいに打ち明けたことはなかったそうです。

「母が亡くなったとき、兄も姉も遠方に住んでいて、父は仕事が忙しかった。仕方なかったとは思っているけど、悲しかったことをきょうだいに理解してほしい」
1時間ほど話を聞いてまとめると、次女が望んでいるのは条件の変更ではなく、「きょうだいに話を聞いてもらうこと」でした。

翌日、予定より時間を長くとって次女から胸の内を伝える時間を作りました。きょうだいは少し驚いていた様子でしたが、最後は全員が笑顔で遺産分割協議書に押印を終え、手続きは円満に終了しました。

この事例はフィクションです。
ですが、このように「心」が引っかかって手続きを妨げる事例は珍しくありません。

人の心理は複雑で、小さいとげのような不満が大きくなり、心を支配することがあります。
私は心のコントロールと心理的障害の治療及び予防に興味を持ち、大学に入りなおして心理学を学んでいます。

人の心はときに合理的判断を拒絶し、不合理と思われる選択をすることがあります。
経済学の分野でも、人間が合理的選択をすることを前提とした古典的理論に心理学の要素を加えた行動経済学が注目を集めています。

相続を円満に終わらせるためには、当事者同士の円滑な対話が必要です。
家族の事情はそれぞれで、どんな人も距離が近いゆえの心理的葛藤を抱えているでしょう。

誰かとよい人間関係を保つには、思いやりあるコミュニケーションが大切です。
それは血がつながっていても変わりません。
家族という近い距離間に甘えるのではなく、相手の気持ちを思いやり、日ごろから感謝を伝えたほうがよいのではないか、と思います。

(記事は2020年2月1日時点の情報に基づいています)

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