梅宮アンナさんインタビューの前編はこちら

この記事は前編があります。以下からお読みください。
梅宮アンナさんが体験した父、梅宮辰夫さんの相続 「手続きで泣く暇もなかった」

——専門家に助言を仰ぎながら相続を進めていかれたとのことでしたが、そういった方々がいてくれて良かったと思うところはどんなところでしたか。

法律などの難しいことは私達にはわからないので、専門家の先生方がいらっしゃらなければ進められなかったと思います。まず最初に「何をしていいかわかりませんが、無駄なお金は払いたくないので工夫してください」とお願いしました。決まった税金は払わなくてはならないのですが、工夫できるところはあると思ったんです。

今回初めて相続を経験してみて、親が亡くなる前から税理士などの専門家に相談しておいたのが良かったと思いました。人はいつ亡くなるかわからない。いつまでも生きるわけじゃないですから。でも、100の家族があったら状況は100通り、違うんですよ。同じということはない。亡くなった人が何を持っていたかによっても違うでしょうし、借金があるかないかによっても違ってくる。我が家は父が借金をしていなかったので、お墓に行く度に「ありがとう」と言っています。

扱いに困った真鶴の豪邸

——相続を進める上で一番大変だったことは何でしょうか。

今まさに、とてつもなく大きな真鶴の家をどうしようかということです。私はいったん、東京の家を引き払って真鶴の家に引っ越し、住民票も移して母と暮らしています。窓一面に海が見えてのどかで本当に気持ちいいんですけれど、毎日見ていたら時が止まってしまったんです。変化していかなきゃいけないのに、思考が止まってしまう。

通うのにも疲れました。夜9時まで東京で打ち合わせがあって、そこから車で真鶴に帰る途中に高速道路のパーキングエリアで寝てしまったこともあります。私、何をしているんだろうと思いました。やっぱり真鶴の家は別荘として使うべきものだと思うのですが、東京の家を持って2つを維持するのは大変なので、売却する方向で考えています。

父が真鶴の家を建てたのが45歳頃。そう考えると、私達じゃなくて、海や釣りやアウトドアが好きな、若くてパワーのある方が持つべきだと考えるに至りました。母と私と娘では、あの家を使いこなせなかった。母も言うんですけれど、高齢になればなるほど田舎でスローライフを送るのではなく、都会に住んでいた方がいい。バスも電車もあって、病院も近くにあって。何でも近くにあるということが価値になっていくんだなと思います。

——生前、お父様に伝えておけばよかった、聞いておけばよかったということは何かありますか。

自分がこういう立場になったから初めて出てくる質問なのですが、「どうしてこの家を作ったの?」「どうしてここにキッチンがあってアイランド型なの?」とか、もう本当にいろいろありますよ。

相続を振り返り「専門家に相談しておいて良かった」と語った梅宮アンナさん(撮影:植田真紗美 )
相続を振り返り「専門家に相談しておいて良かった」と語った梅宮アンナさん(撮影:植田真紗美 )

今でも仏壇のパパに語りかける

——相続の手続きはいろいろと判断するべきことが多かったと思います。そんな時、どうやって決めていましたか。

私がやっていることは「パパが喜ぶこと」がテーマなんです。ですから、父が亡くなった時にお棺に入れるものも、花なんて気持ち悪いと言われそうだと思って、お肉や出汁、ハイチュウ、紀伊國屋の袋など、喜びそうなものをたくさん入れました。そうやって、父がこうやったら喜ぶかな、怒るかな、と考えながら進めていきました。

そうすると全然悩まないんです。お墓についてもそうでした。父は自分の力で「梅宮辰夫」という世界を作っていったのだから、先祖が入っているお墓に入れるんじゃなくて、太陽と海と山が好きだった人にふさわしいお墓にしようと思い、探して購入しました。墓石の向きも、私達が手を合わせた時に海が見える方がいいのか、墓石が海の方を向いていた方がいいのかと決める時に、もちろん父から海が見える方が喜ぶだろうと考えました。

今でも仏壇の前で「これから家の外壁にペンキを塗ります、よろしいですよね」と、一つひとつ報告しています。でも、仏壇に向かって怒ったこともあるんです。相続の手続きがあまりにも大変だから「どうして私がこんな思いをしなきゃいけないの?」「なんで私がママの面倒を見なきゃいけないの?」って。

——そんな時にアンナさんを支えてくれたものは何だったのでしょうか。

私はいつも自分自身が支えなんです。あんまり、外に何かの支えを求めない。自分の中に強い自分と弱い自分がいて、いつも話をしているんですよ。小さい時からそうでした。だから、どこに行っても「さびしい」という思いはないですし、自分しかいないと思っています。もちろん、友人達と話すことはたくさんあるんですけれど、結局最後は1人で解決しなきゃいけないでしょう。

相続で走り回っていた時は、コロナ禍ということもありましたが、気づいたら友人達と全く会ったり話したりしていなかったんです。一番大変な時は、自分と同じ境遇の人としか話せませんでした。まだ親が健在で、病気でもないという人とは話が合わないんです。でも、人にはやらなきゃいけないことだけが、その時に降りかかってくると思っているので、私は今、これをすることが必要なんだと考えて乗り切っていきました。

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勉強だと思って乗り越えて

——これから親の死や相続と向き合わなくてはならない人も大勢いらっしゃると思います。そういう方々は、どんな心構えをしておけば良いでしょうか。

今回、父が亡くならなければ私は本当に何にも知らないままでした。何も知らないことすらわかっていなかったんです。でも、やらざるを得なかった。本当にこの2年間、勉強させてもらったし、正直、今も終わっていないんです。今度は母のことも考えなくてはなりません。どこかに小さい家を買ったほうがいいのか、老人ホームに入ったほうがいいのかということを検討しています。母はアメリカ国籍なので、やっぱりアメリカがいいのかな、ということも視野に入ってきています。

私は、問題が目の前にやってくるのは、その人がやるべきことだからだと信じているんですよ。人それぞれ背負うものは違うけれど、もし相続の手続きをしないといけなくなったら、勉強だと思って乗り越えていってほしいと思います。こんな私でもできましたから。