梅宮アンナさんが体験した父、梅宮辰夫さんの相続 「手続きで泣く暇もなかった」
昭和の大スターであり、自らプロ級の腕を振るう料理好きとしても知られた梅宮辰夫さんが亡くなったのは2019年12月のことでした。遺された家族は妻のクラウディアさん、一人娘でありモデル・タレントの梅宮アンナさん、そしてアンナさんの長女である百々果さんの3人。専門家の助けを借りながら相続の手続きを進めたアンナさんのご経験と、わたしたちが今からできる心構えについて聞きました。
昭和の大スターであり、自らプロ級の腕を振るう料理好きとしても知られた梅宮辰夫さんが亡くなったのは2019年12月のことでした。遺された家族は妻のクラウディアさん、一人娘でありモデル・タレントの梅宮アンナさん、そしてアンナさんの長女である百々果さんの3人。専門家の助けを借りながら相続の手続きを進めたアンナさんのご経験と、わたしたちが今からできる心構えについて聞きました。
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助けになったのは専門家への相談 梅宮アンナさんが振り返る相続とは
——お父様が亡くなられる前に税理士からアドバイスがあったそうですね。
父が亡くなる15年くらい前に、税理士さんに呼ばれて、「アンナちゃん、お父さんが亡くなると、とてつもない税金がかかってくるよ」と言われました。「アンナちゃん一人っ子だから、東京・渋谷の家と、神奈川・真鶴のお家があるけれど、たぶん、多額の相続税がかかってくるから、場合によっては払えないかもね」と言われたんです。
「じゃあ、どうしたらいいんですか?」と聞くと、私の娘の百々果を梅宮家の養女、つまり私の妹にするという方法が節税につながると聞いて、そうすることにしました。娘が幼稚園の年長さんの時でした。本人にも「私たち姉妹になるんだよ」と説明して、ある日、それらしき封筒が届くと、本人もなんとなくわかったみたいで、「ママ、私たちが姉妹になる書類が届いたよ!」と。
私達はたまたま父が亡くなる15年前に、そんなことも含めて話がいろいろ出ていたのでラッキーでした。亡くなってからでは遅いこともありますから。
——それでは、亡くなられてからの相続の手続きはスムーズだったということでしょうか。
それが、そうでもないんです。亡くなって初めて、「こういうことだったんだ」、「ああいうことだったんだ」と、ピンとくるんですよね。娘を梅宮家の養女にしていたと言っても、すぐに何かをするということもないままでしたし。
病院で「御臨終です」と言われたのが、朝7時半頃。50分にはテレビの情報番組から「亡くなられましたよね」と連絡があり、「なんで知ってるの?」と。隠しても仕方がないので、「先ほど亡くなりました」と話したら、8時にはテロップで出ました。私は病室でみんなと一緒にいて、先生は蘇生処置をずっとしていたのですが、テレビをつけてそこで速報を見たんです。父の銀行口座が凍結されたのがそれから5日後くらいで、早かったです。
そこから相続の手続きを始めて、ずっと毎日動いていました。だから、私、泣いていないんです。泣く暇がなかった。母はずっと泣いていましたけれど、私には泣かせてもらえる時間がなかったんです。何が分からないかも分からない中で、手続きを進めざるを得ませんでした。
——お父様ご本人とは、相続の話をされたことはありましたか。
父に「エンディングノートを書いておいてね」と頼んだことはありました。そうしたら、ずっと熱心にノートに何かを書いていたようですが、後日、見直すとそれはレシピ帳だったんです。亡くなる1年くらい前に、父の命がいつまであるのかわからなかったですし、お金があるのかどうかもわからなかったので、「今後何にお金が必要になるかわからないから、少し移しておいていい?」と聞きましたが、だめでした。
父は全然ケチじゃなかったのに、「お前、俺の金盗む気か!」などと怒鳴りました。これ、世の中でけっこう起こっていることらしいですね。友達に話すと、同じようなことを親に言われたという人も多い。高齢になると、やっぱり不安になっちゃうんですね。多分向き合うのが怖かったんだと思います。
——遺言書などはありましたか。
まったくありませんでした。でも、むしろなくて良かったかもしれないと思っています。父が決めるより法律の方がフェアですから。例えば「これはママに」「これはアンナに」と書いてあったとして、「どうしてそれをママにあげるの? それは私のだよ」と思わなかったとも限らない。法律に従いながら、残った私達で力を合わせて、話し合って決めていきました。
また、一人っ子で良かったなとつくづく思っています。兄弟がいないのは寂しかったのですが、兄弟が多いとお金の揉め事になったり、それが原因で決別したりする。そんな人達を小さい頃から大勢見てきましたから。
——実際に相続の手続きはどのように進めていかれましたか。
弁護士、税理士、司法書士といった専門家の先生方の助けを借りながら、実際に動いたのはほぼ私ひとりでした。大変だったのは、すべてが父の名義でしたから、一切触れないものがたくさん出てきたこと。例えば車。名義変更をしないと売ることも処分することもできないのですが、必要な書類を全部整えるところから始めなくてはならない。
10カ月後までにすべての手続きを終え、相続税を国に納めなくてはいけないと聞いて、「それなら余裕だな」と思っていたのですが、いざ始めてみてすぐに「もしかしたら間に合わないかも」と思いました。やるべきことが多すぎて。時間があるようでないのだとわかりました。
父も母も、神奈川県真鶴町に本籍があって、住民票や戸籍謄本などの書類をすべてそこに取りに行かなくちゃならないんです。1度にまとめて20枚ぐらいもらっておくんですが、あっという間になくなってしまうんですよね。あらゆる手続きに必要ですから。こういう書類集めだけでも、かなり時間がかかりました。
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父が亡くなってから10カ月後までに相続税を納めなくてはならないのだったら、10カ月ぴったりというわけにはいかないから、何がなんでも7月には終えておこうと決めて進めていきました。というのが、娘が8月に渡米することが決まっていたので、お墓のこともすべてそれまでに終えようと思ったんです。
ひとつエピソードがあって、父が貸金庫を契約していたことがわかったんです。A4の書類が入るくらいのサイズです。その解約を申し出たところ、相続の手続きがすべて終わってからでないとできないと言われました。そこで、全部終わった日に、母と娘と3人で中を見に行ったんですよ。「お宝が入っているかも」「どうしよう」「ダイヤとか入っていたらいいのにね」と言いながら開けてみたら、空だった。
多分父も、契約していたことを忘れていたんじゃないかな。
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助けになったのは専門家への相談 梅宮アンナさんが振り返る相続とは
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