認知症になった両親の住む施設を毎月訪問

転んで腕を折り入院したあたりから認知症がひどくなったという渡辺さんのお母さん。入退院を繰り返すうち声を失い、もの忘れがひどくなったお父さん。紆余曲折を経て、ようやく2人は今、一緒の施設で暮らせるようになりましたが、症状が重くなったお母さんにはもうお父さんがわからず、お父さんはわかっているかもしれないけれど言葉が出ないそうです。

――山形の高齢者施設で暮らす認知症のご両親に会いに毎月帰っていらっしゃるそうですね。

渡辺えりさん(以下渡辺):はい、父が95歳、母が91歳です。毎月、日帰りでも時間をつくって帰るようにしています。先日も山形に行って2人に会ってきたのですけれど、土日は面会はダメだと言われ、月曜日の朝10時から10分だけ会って、その足で新幹線に乗って東京の仕事に直行しました。

15時から東京で仕事だったので東京駅に14時に着くように逆算して乗ったのですが、途中で新幹線が止まったんですよ。やばい、遅刻したらどうしようとドキドキしていたのですが、だんだん盛り返してきて最終的には15分遅れくらいで着いたので、なんとか間に合いましたけれど。

母のおむつを替える介護士さんに思わず手を合わせた

——今回の舞台の主人公のひとり、後藤篤子は50代で、まさに両親の介護や認知症になっていく親と向き合い始める年齢です。経験者としての体験や思いを教えていただけますか。

山形で暮らす両親への思いを語る渡辺さん。撮影:小山幸佑
山形で暮らす両親への思いを語る渡辺さん。撮影:小山幸佑

渡辺:私の場合、両親は高齢者施設に入っており、山形に住んでいる弟がすべての責任者になって様々な手続きをやってくれているのでとても助かっています。自分が離れており、直接介護したくてもできないから、実際に介護してくださっている職員さん達によろしくお願いします、としか言えないです。

一度、母が下痢をしてしまったことがあって、5分置きくらいにおむつを取り替えなくてはいけなくなったんですが、自分が替えたときは本当に臭いし、大変なんですよ。これを普通に介護士さんがやってくださっているのを見て、思わず手を合わせましたね。実の娘であっても、「またやったの!」と言いたくなっちゃうと思うんですよ。毎日、これをご自身でされている方は本当にすごいと思います。

——義母や義夫の介護をしているという方も多いですね。

渡辺:介護に関してはいろんな資料を読みましたけれど、肉親ではなくお嫁さんの方が介護がうまくいくそうなんです。実の子どもたちは、自分の母親や父親がこんな風になるはずがない、人前で裸になったりうんちをもらしたりするはずがない、認知症なんかであるはずがないと思いたいから、すごく冷たくて、何も面倒を見ないケースが多いんだそうです。以前の元気だった頃の姿を知っているだけにね。ところがお嫁さんは割り切ってちゃんと親切に介護できるから、お嫁さんを実の娘だと思い込むようになっていくという話はたくさん聞きますね。

たくさん親との思い出を作れば自分の支えにもなる

——まだまだうちの親は元気だからと思っている人達は、どういう心構えを持っておけばいいでしょうか。

渡辺:誰でもそうなるものだと思っておいたほうがいいんじゃないでしょうか。私はまったく心構えがなかったんだけど、ある日、母からかかってきた電話でそれがわかりました。

——どんな電話だったのですか?

渡辺:自分がボケるという予感がしたらしく、元気なうちに旅行に連れていってくれと初めて私にものを頼みました。行きたいところは、若い頃行きたくても行けなかった日光東照宮と出雲大社と伊勢神宮と広島と原爆資料館だと言うので、必死に休みを取って、10日間かけてすべて周りました。母はその旅行の写真アルバムを見るのが日課になって、楽しそうでした。それさえも今は忘れていますけれど、行っておいて本当に良かったと思いますね。

——自分自身で予感がするものなのでしょうか。

「身体が動くうちに、親との思い出はたくさん作った方がいい」 撮影:小山幸佑
「身体が動くうちに、親との思い出はたくさん作った方がいい」 撮影:小山幸佑

渡辺:実家で、私が赤ん坊の頃から大人になるまでを整理したアルバムと、メモをしたノートが出てきたんです。母が、自分が忘れないようにと作ったんでしょうね。だから、予感があったのだと思います。今は完全に全部忘れていますけれど。

ですから、身体が動くうちに家族で旅行したりすることを勧めますね。思い出をたくさん作った方がいい。私は本当に親不孝者だと思っていたのですが、その旅行に母が満足してくれたことが今でも自分の支えになっていますから。

好きな芝居を見ているときに客席で死んでもいいんじゃないか

——ご自身の老後についてはどう考えていらっしゃいますか。

渡辺:老後って何歳くらいからなんでしょうね。会社に行っているとすれば、退職すると老後でしょう。でもこういう仕事をしていると、老後ってないんですよ。森光子さんや杉村春子さんの老後ってなかったんじゃないですか。だから、自分が働けなくなったらそれが老後なんじゃないかなと思うんです。

——幸せな老後ってどんな状態だと思いますか。

渡辺:テレビで中国の村の話を見たことがあるんですけれど、一番若い人で100歳、高齢者で138歳が住んでいるんです。そこでずっとどぶろくを作って働いてきたんだけど、今は何もしていないおばあさんがいる。彼女のところに子ども達や孫達がお正月に300人集まってきて、それを眺めてニコニコしているわけです。貯蓄があるわけではないけれど、子どもや孫が時々来てくれて、畑を耕してくれたり織物を織って着せてくれたりごちそうしてくれたりする。こうやってお金じゃないもので触れ合って、今は働かなくてもいいというのがそもそも幸せな老後だったんじゃないかと思うんです。

——現代日本では幸せな老後を迎えるのは難しいでしょうか。

渡辺:物やサービスがお金で買えるようになって、そこから老後の資金が必要だとなってきたと思うんです。どうしてもお金が出ていくようになっているから、働かなくちゃいけない。私、せっかくローンが終わったマンションがあったんですけれど、ローンが終わっても管理費は必要なんです。管理費を払うとなると、一生働かなくちゃいけない。でもいつか働けなくなるでしょう。そうしたら野垂れ死にしかないですよね。

だから今は、逆に老後の資金はなくてもいいんじゃないかと考えるようになったんです。好きな芝居を観ているときに客席で死んじゃったりね。それもいいんじゃないかって。あるいは、出かけているときに道端で野垂れ死んでもいいんじゃないかと。自分がひとりで生きていく分には、なんとかなるんじゃないかな。この1年、友情だったり家族の愛情だったりと、お金はなくても必要なものがあるとよくわかりましたから。

渡辺えりさんプロフィール
山形県生まれ。日本劇作家協会会長。1983年岸田國士戯曲賞、1987年紀伊國屋演劇賞個人賞受賞。近年歌手活動も盛んに行っている。

(記事は2021年8月1日現在の情報に基づいています)