寄付者の名前を冠した基金を創設 人となりや遺志を伝える「さわやか福祉財団」
人と人とがお互いに助け合う、温かいふれあい社会をつくる――。共生社会の基盤を支える地道な活動を広く支援する団体があります。今回は公益財団法人「さわやか福祉財団」への遺贈寄付について紹介します。
人と人とがお互いに助け合う、温かいふれあい社会をつくる――。共生社会の基盤を支える地道な活動を広く支援する団体があります。今回は公益財団法人「さわやか福祉財団」への遺贈寄付について紹介します。
公益財団法人「さわやか福祉財団」(東京都港区)は、元検事の堀田力さんが1991年に始めました。地域でのボランティア活動や「居場所」の普及推進、子どもからシニアまで年代を問わずに社会参加できるための環境づくり、そうした社会を実現するための政策提言など幅広い活動をしています。寄付金をベースに、全国で1000を超える助け合い活動団体を設立してきました。コロナ禍で苦境に陥った人たちを支える助け合い活動を支援するために「地域助け合い基金」も立ち上げて寄付も呼びかけています。
財団は、遺贈寄付を「ふれあい遺贈基金」と名付けて活かしています。2019年度末の基金残高は約20億円。貸借対照表には基金の内訳として「伊藤春子基金」「松岡廣子基金」など寄付者ごとの名前を冠した基金が19並びます。これまでに約30の冠基金がありました。中には億を超える遺贈がある一方、50万円の遺贈もありますが、等しく名前を冠しています。もちろん、匿名にもできます。
「遺贈には感謝と『思い』を引き継がせていただくという気持ちを込めてお名前を冠しています。生前にご相談があればもちろん、亡くなった後に遺贈がわかった場合も、できるだけご本人の『思い』を汲み取って活用させていただいています」と理事長の清水肇子さんは説明します。
寄付者の一人ひとりには異なる人生があり、それぞれの思いがあります。ふれあい遺贈基金募集のパンフレットや財団の情報誌では、寄付者それぞれの人となりなどを紹介しています。とても大切なことをきちんと伝えようとする姿勢に、私は共感します。
たとえば「國吉眞惟・蓮子基金」は、<幼い時に関東大震災に被災され、以後横浜の養父母に育てられました。戦後美容師の資格を取り川崎市で約25年にわたり美容室を経営。ご主人を永年看病され亡き後は趣味の墨絵を描かれ若々しく過ごされました。金融資産をご遺贈頂きました。基金はお二人の連名で作成を希望されました。>とパンフレットに掲載されています。
情報誌からも紹介します。2007年、72歳で亡くなった小村忠男さんは大工として長年働き、退職後は福祉団体でのボランティアやシルバー人材センターなどで地域活動を続けました。生活はつつましやかで、アパートで一人暮らしをしていたそうです。亡くなる10日前に病院で公正証書遺言を作成して、財団など5つの団体に総額約1300万円を遺贈。遺体は病院に献体しました。遺言執行者を託された財団が「偲ぶ会」を開くと、生前に参加していたボランティア団体の人や、支援していた障がい者ら40人ほどが参加し、「一見固そうな顔も笑顔がやさしくてね」など、故人の話で和やかなひと時を過ごしたそうです。
また、財団は遺贈寄付者への感謝として毎年7月、東京のお盆時期に「思恩忌(しおんき)」を開いています。財団事務所の入り口スペースを使って故人の顔写真を飾り、その思いを無にしないよう、あらためて活動の原点を思い起こしているといいます。活動報告を兼ねて毎年開く「全国交流フォーラム」の場でもパンフレット同様、それぞれの冠基金を紹介するパネルを展示しています。
清水さんは「寄付というものは、もともと寄付者の『思い』を預からせていただくものです。ただ、特に遺贈の場合は、ご自分では私たちの活動を確認できない。私たちを全面的に信頼して託してくださったその『思い』と、その方の人生をしっかりと受け止める必要があると思っています。みんながいきいきと役割と出番を持ちながら、自分らしく輝いて暮らせる温かい社会をつくろうというのが私たちの目標です。こうした地域づくりは地道な働きかけや状況に応じた情報提供が繰り返し必要です。決して派手な活動ではありません。その事業や理念に共感してくださったご遺志こそが私たちの大きな財産です。故人と一緒に活動している気持ちを常に大切にしていたい」と話しています。
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(記事は2021年3月1日時点の情報に基づいています)