目次

  1. 戦後民法下で初めて相続を経験した父
  2. “創業者”の父からスムーズな生前承継
  3. トラブルがあっても専門家が入ってくれる時代に
  4. 相続の秘訣は「会って話を聞く」こと

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入江(以下、敬称略):いまの日本の法律や税制では、基本的な枠組みとしては相続が発生するたびに個人の財産は分散、場合によっては減少していく仕組みとなっています。

また、相続手続きが何世代もされないことなどにより所有者がすぐにはわからない資産(所有者不明土地など)が国全体で増え続けて社会問題化し、いわゆる相続争いも近年増加傾向にあります。高齢化や家族のあり方の多様化でますます相続や承継が難しくなるなか、個人、あるいは一族で資産・事業・伝統・文化・歴史的な財産を円滑に継承していくことには大きな困難が伴うのが実情です。

お父様の恒孝(つねなり)さんは昭和38年(1963年)、23歳という若さで戦後の民法下で初めて徳川宗家の相続を経験されたと伺っています。そのときに実際、どのような状況だったのかお聞きできますでしょうか。

徳川:父の実家は会津松平家の流れをくみ、父はそこから徳川宗家へ13、14歳ごろで養子に来ています。「マス席を取っているから相撲を毎日見に行けるよ」「お腹いっぱい食べられるよ」という言葉に心が動かされて養子に来たというほど欲がなく、18代当主になったときも23歳でよくわからないまま徳川宗家を継いだということです。

受け継いだ文化財としては、重要文化財となっている「初花」の茶入(唐物肩衝茶入・からものかたつきちゃいれ)が突出して価値が高く、相続として扱いが大変だったというような話は聞いています。千駄ヶ谷(東京都渋谷区)にあった土地と屋敷は、戦前には東京オリンピック(※実現には至らなかった)の会場になればということで、すでに東京都(当時の東京府)へ譲っていました。

徳川家広さん
徳川家広さん

入江:家広さんにもご姉妹がおられると伺っていますが、現民法では子どもの法定相続割合は均等で、遺留分といった制度もあります。差し支えなければ、このような制度についてはいかがお考えかお聞きできればと思います。

徳川:一般論として申しますと、財産がある人ほど「国に守られている」ということですので、税金の負担が高くなるのは当然だと思っています。相続税を低くすると格差が広がり、これはお金持ちにとってもストレスがたまる、相当住みにくい社会になると思います。

ですので、制度の趣旨は正しいと考えています。均等相続にしましても、戦前の民法下の方が様々な問題はあったと思うのです。旧華族や旧財閥家は非常にマイノリティーですから、ここを基準にいまの制度を考えても仕方がないでしょう。

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入江:2023年1月に行われた徳川宗家の代替わりの儀式「継宗(けいそう)の儀」は、相続による継承ではなく、いわば「隠居」による「家督」の継承のような形だと思います。現代の日本の法律上、隠居制度はなくなり、家督という制度もありません。

ただ、生前にしっかりと次の代に引き継ぐ、ということは会社や事業の承継に似たところもあり、円滑な承継に適している面もあると思いますが、いかがお考えでしょうか?

徳川:継宗の儀のとき、父は82歳でした。確かに「こうやって元気でやってこられたんだから、まだまだ大丈夫だ」というのが一番恐ろしいと思います。こういった形での継承に、父も同意してくれたことが非常にありがたく思っています。それは2021年6月に父から理事長職を引き継いだ徳川記念財団の経営一つを取ってみても、同様です。

物事を最終的に決めるのが、父なのか私なのかはっきりしなかったものが、継宗の儀によってはっきりと私であるという風になったので、色々と整理がしやすくなりましたね。

入江:信託銀行の業務で相続のお手伝いをさせていただくのですが、日本では相続については「考えたくない」「まだ早い」という方が多いと実感しています。特に子どもの方からは切り出しにくいと言われていますので、生前にきちんと話し合いながら承継され、それをご家族を含む関係者にも伝えられたというのは、相続としても事業承継としても、とても理想的な形ですよね。

入江誠さん
入江誠さん

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徳川:父は戦後の新民法下で初めて当主になり、戦後の制度に合った家の財産の仕組みも彼が全部決めたという意味では、まさに創業者です。徳川記念財団の設立者でもあります。

創業者と言うと、得てして個性や我が強く、「死ぬまで引退しない」「しばらくは死なないから大丈夫」などとおっしゃる方も多い。同族経営企業に限らなくても、一度退いた後にまた社長に復帰する方もいるくらいです。一代の英傑のような人が、自分の後継についてあれこれと思いを巡らせるのは、戦後の日本では非常に難しいかと思います。死に物狂いで働いてきて、「仕事を取ったらば何も残らないよ」とお思いの方も少なくないでしょう。

江戸時代は全員が世襲で、全ての身分の人が親の家業を継ぐか、あるいは養子になって他の家の家業に入っていくという仕組みだったから、隠居という形も出てきたのだと思います。

入江:江戸時代は例えば地域によっては長男でなく末っ子が代々受け継ぐ制度があったり、初めに生まれたお子さんが女性のときには必ずその方が婿を取ったりといった、いろいろな相続の形がありました。

ところが、明治31年(1898年)に施行された当時の民法では、家の財産は「家督」として扱われ、長男が全て相続するという画一的な形になり、さらに戦後の民法では、逆に全相続人による共同相続を原則としつつ、遺(のこ)す人が遺言を書くことによって、(遺留分相当額分を除き)自由に指定できるようにもなりました。明治時代から第2次世界大戦後までの100年にも満たない中で、日本ほど相続の制度の変遷があった国も珍しいのでは、と思っています。

もっとも、次の世代につなぎ、譲り渡していくための遺言という制度自体は昔からあるのですが、諸外国に比べるといまの日本ではなかなか使われておらず、非常に少ない数にとどまるのが現状です。

徳川:会津松平家の血も入っている父は、「次世代に譲る」ということについては非常に考えることが多かったのではないかと思うのです。

会津松平家は“滅亡”のようなことを明治維新で1回、さらに第2次世界大戦後にも華族制度が崩壊したことでもう1回経験していますからね。それと同時に、今後あのとき以上に政変などで大きく変わることはもうないだろうともまた思うわけです。いまの制度の下で最善の形を作って、それをなるべく早く、適切な頃合いで、「そろそろ家広に譲っても大丈夫そうだし、自分もそろそろ疲れてきたしな」というタイミングだったのではと思います。

入江:研究所では色々な意識調査もしていますが、「まだ早い」と自身が思っているところから「じゃあ、そろそろ」と動くところまでなかなか行かないという方が多いので、きっかけというのは必要なのだと思います。

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入江:ここまで徳川宗家での相続や代替わりについて伺ってきましたが、一般的に生前における相続の準備は非常に大事なことです。

遺言もその一つですが、遺言はあればそれだけでいいというものではなくて、例えば財産の分け方はきちんと書けば指定できるものの、理念や思い、伝統といったものまで伝えるのは難しいというところもありますので、やはりご家族が納得する形で、ということが大切だと思います。

最近はエンディングノートも話題になっていますし、日記や自分史、エッセーなどを残すことも理念や伝統などの継承の方法としては効果的と思うのですが、家広さんはどのようにお考えになりますか?

徳川:これは属人的な話になってくるので、自分史を書いているうちに欲が薄れる人もいれば、自分史を書いているうちに「まだまだやれる」と思う人もいるはずですからね。どのような仕組みを作っても一長一短あるのではないでしょうか。

ただ、「“隠居”は恥ずかしいことではないですよ」「ただ余生を楽しむことも、よい生き方ですよ」という通念が広がれば、財産を残す方の立場としてもあまり構えずにできるようになるんじゃないかと思います。いまは、自分の死後に子どもたちにどのように財産を分けて残すかを考えるのは、苦痛な人のほうが多いはずですから。

また、これはマクロの話ですが、戦争世代のお父さん世代と、戦後世代の子どもたちとでは「家族」というものに関して、全く異なる文脈の考え方をしているように思います。戦後、子どもたちには『あたらしい憲法のはなし』という教科書が配られ、これはいま読んでも驚くほどリベラルで先進的な内容です。

今後、お父さん・お母さんやおじいさん・おばあさんも戦後世代となりますと、子どもに対する感情はずいぶん変わり、親子間のコミュニケーションがさらに円滑になるのではないでしょうか。それでやっといまの相続制度ももっと円滑になっていくものと思います。

徳川家広さん

他には、例えば子どもの習い事を通じて親同士が知り合うなど、いまは親戚付き合いに代わるような人付き合いの形も出てきていますし、そういうところで仲良くなって知恵を出し合うのもよいでしょう。

いまは弁護士に相談することの敷居がかなり低くなり、専門家の知見を借りるのが非常に容易になっています。相続が始まって突然知らない親族が現れたとか、突然よくわからない借金が発覚した、などといったことがあると嫌な気分にもなるかと思いますが、専門家や行政が入っていくこともできますし、トラブルに対する対応力も強くなっていると思うのです。

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入江:徳川宗家、あるいは徳川一族として、これから日本社会や世界に貢献していきたいことがありましたら教えてください。

入江誠さん

徳川:約260年間全く戦争がなかったのはなぜなのか、あるいはなぜ明治維新のときに西洋列強によって分割支配されなかったのか。そういった大きな疑問に対して答えていくのは、専門の学者ではないですけれども、ある種の当事者として非常に大事な義務ではないかと思っています。

また、日本では“エリート”と言われる方でも日本史をきちんと要領よく説明することができません。外国人や若い人などの日本史に詳しくない人に対しても、納得のいく、なるべく簡潔な説明を提供していくことは、私個人のライフワークだと考えています。

入江:徳川宗家のように受け継がなければならない伝統や資産があってスケールの大きいお話を伺っていると、「うちには関係ない話だ」と思う方もいるかもしれませんね。ですが、一般の家庭であっても、やはり世話になった子どもには多く残したい、先祖伝来の土地は後継者に残したい、という様々な思いも含めて相続へのご希望をお持ちということもあります。

相続財産はもちろんのこと、伝統・理念なども含めた一家のレガシーまで円滑、円満に承継していくためのアドバイスをお聞きしたいと思います。

徳川:一番重要なのは、親御さんがお子さんに色々なお話をされることだと思います。よく、小学校のお子さんをお持ちの親御さんに「子どもに歴史に興味を持ってもらえるようにするにはどうすればよいでしょうか」と聞かれるのですが、「それは皆さんの昔話をするのが一番ですよ」とお伝えしています。

私は松平家の祖父母の昔話も実によく聞いていました。それはかなりの糧になったと思っています。父も息子である私に対して、自分の来し方から仕事のこと、また「こういう本を読むといいよ」ということまで、様々なことを話してくれました。そういうことがなければ親の考えは何も伝わりませんし、後から手探りでの推測になってしまうと大変です。死後に遺言など、いきなり文書でポンと出てきても困りますよね。

だからこそ、これから相続があるという方はまず親子で会ってみて、お話をする機会を増やされていくことがよいかと思います。

徳川家広さん

●徳川家広さんのプロフィール

とくがわ・いえひろ/作家・翻訳家。1965年、東京生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業後、米ミシガン大学大学院で経済学修士号を取得。国連食糧農業機関FAOローマ本部とハノイ支部で勤務後、米コロンビア大学大学院で政治学修士号を取得。2000年末に帰国後は政治経済評論家としても活動。著書に『自分を守る経済学』(ちくま新書)、『マルクスを読みなおす』(筑摩選書)ほか訳書多数。2021年6月から公益財団法人徳川記念財団理事長。2023年1月、徳川宗家19代当主に。

●MUFG相続研究所のプロフィール

「人生100年時代」の到来を前に、高齢社会における資産管理や次世代への円滑な資産承継といった社会課題の解決を目指し、三菱UFJ信託銀行が2020年に設立。中立的な立場で資産管理・資産承継に関する調査・研究・情報発信や政策提言をするほか、産官学で連携して課題解決に取り組む。

(記事は2024年8月1日現在の情報に基づいています。)

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