――遺贈寄付などに限らず、多くの人からWFPに寄せられた支援は、どのように活かされているのでしょう

WFPの一番大きな活動は、自然災害や紛争が起きた際の緊急支援です。それとは別に、学校給食を支援しています。一番簡単なものは、カロリーと栄養を強化したビスケットです。ミネラルなどを使って焼き上げています。学校給食を整えようとしても、そのための設備がないケースが半分ぐらいあります。そんな時は、毎朝、お腹を空かせた子どもたちに、このビスケットを渡します。学校給食のための設備が整えば、お湯も沸かせられるようになり、温かいものを食べさせられます。さらに、もっと進めば、日本の学校給食のイメージに近い、主食とおかずがある形で展開できます。

WFPが支援に配るビスケット。ムスリムの人でも食べられるよう、ハラル対応になっています。

学校給食は就学率向上にもつながる

――学校給食は、子どもたちを学校に通わせるきっかけにもなるのでしょうか。

学校給食があれば、こうした子どもたちの栄養状態や健康が改善されるだけでなく、出席率や成績の向上にもつながります。給食は、家庭が子どもを毎日学校に通わせる強いきっかけにもなります。就学率が高くなると、子どもたちの未来の幅が広がります。

WFPの活動を紹介するポスターの中に、ルワンダの子どもたちを撮影したものがあります。2009年に撮影した写真です。ルワンダでは、公用語の英語を話せないと、進学が難しく、仕事も限られます。学校に行って英語を学べるかどうかが、子どもたちの人生そのものに大きなインパクトを与えるのです。実は、昨年、WFP協会親善大使の竹下景子さんが、この子たちに会いに行ってくれました。写真を撮影して10年後です。当時の子どもたちは、オフィスワーカーになったり、大学に行ったりしていたのです。食糧支援が必要とされる子どもたちに高等教育を受けられるようにしてきた結果だと思います。学校に行って共用語を学び、高等教育を受けて次のステップにあがるチャンスができたという点でインパクトがありました。

国連WFPが「ルワンダの希望」として配布しているリーフレット。上の写真は2009年に撮影されたもの(©ACジャパン)。下の写真は10年後に撮影(©Mayumi Rui)。
中央にいる2人の成長がうかがえます。
国連WFPが「ルワンダの希望」として配布しているリーフレット。上の写真は2009年に撮影されたもの(©ACジャパン)。下の写真は10年後に撮影(©Mayumi Rui). 中央にいる2人の成長がうかがえます。

子どもは労働力とされ、水くみに2回行くだけで4時間かかってしまうこともあります。その間、学校に行って栄養もとれるようになれば、その子の人生に影響を与えることができます。また、WFPは女性や子どもを重視している点が特徴です。女の子だけは、食料を持ち帰れるようなシステムがあります。どこでもやっているわけではないのですが、女児の就学率が低い場所では、女の子に限って一定の出席割合を満たせば、持って帰っていい食材を提供する仕組みです。子守や洗濯といった家事をやらされてしまいがちですし、宗教的な背景などもあって、女の子は学校に通わせなくていいという考えが色濃く残っていることがあります。食べ物を持って帰れるようにして学校に通うことに結びつけることで、地域の生産性を上げることにもなると思います。このほか、母子支援もしています。お母さんが妊娠し、生まれた子どもが2歳になるまでの1000日間の栄養状況が、その後の発育に影響してしまうので、食料を通して支援するのが狙いです。

自立、就業・・・広がる支援の幅

――WFP全体の活動は、自立支援などもあって幅広いですね。

自立支援の一つは、農地の砂漠化を防ぐ灌漑設備を作るため、農閑期に労働力を集めて食料を提供することがあります。インフラを整えることは、とても重要です。きちんとした道を作らないと、畑で作った作物もマーケットに持ち込めず、フードロスになってしまいます。

途上国は輸送や貯蔵のための設備が少ないので、道を整備して商品をスムーズに運べるようにする必要があるのです。

女性にフォーカスして職業訓練を受けてもらう活動もあります、バングラデシュでは、ミシンの使い方を学んでもらう試みがあります。ただ、学ぼうとすると、日数がかかってしまい、その分の時間を労働に割けなくなります。その代わりに、食べ物を渡すようにするのです。ゆくゆくは、縫製工場で仕事ができるようになり女性の現金収入になります。家庭を支える大きな力になっていくのです。

――日本で集めた物資を世界に輸送することはあるのでしょうか。

厳しいですね。理由の一つは輸送費です。日本は、世界でも物価が高い国です。「日本で、たくさんの食料が余っているから持っていけばいいじゃないか」という声も聴きますが、支援国までの距離がすごくあり、それだけ輸送費用もかかります。WFPの基本的な財源は、各国政府の任意の拠出金と民間からの寄付です。限りがある中では、効率的な運用がマストになります。国際価格で一番安い国から持ってくればいいだろうという考えもありますが、事は単純ではありません。

こんな例がありました。ラオスに支援した際、パキスタンからお米を運び入れました。しかし、ラオスでは、もともとお米を食べる習慣があるのです。もしパキスタンから大量のお米が入ってくると、ラオスでのお米の価格が下がってしまいます。そうなると、お米を作っている農家は成り立たなくなります。このため、その地域の経済をちゃんと見て援助しないと、地元の経済が回らなくなるのです。

学校給食の支援でも、学校の周辺の小規模農家から食料を買った方がいいケースもあります。そこで買えば経済が回りますから。支援は「あるところからないところへ」という観点と同時に、その影響がポジティブとなることを見極めることが大事です。

一方で、支援を続けることが必ずしもサステナブルにつながらないことがあります。自立した社会をつくっていくためには、人材、インフラが必要です。長期的な視点に立つと、自立して農業を中心とした経済システムを作ることが、食糧問題のソリューションになっていきます。

SDGsの2番目の目標は「飢餓をゼロに」ですが、飢餓をゼロにして安定的な農業生産を整える点も盛り込まれています。国連WFPは紛争や自然災害などの緊急時に食料支援を届けるだけでなく、途上国の地域社会と協力して栄養状態の改善と強い社会づくりにも取り組んでいます。

「次の世代」にも知ってほしい食料支援

――事務局長を5年務める中で印象的だったこと、どういったやりがいを感じているのか教えてもらえませんか

高額の寄付をいただくと、電話で趣旨をおうかがいすることがあります。その中でも、母親から相続した財産を寄付してくれた男性と話したことが印象に残っています。寄付するきっかけは、生前のお母さまが「途上国で食べ物を食べられない子どもがかわいそう」と心を痛めていたことでした。感謝状をお母さまの名前にしてお渡ししたら、たいへん喜んでくれました。

学校給食にずいぶん助けられたという世代がいます。戦後を知っている70代以上の世代です。戦争の前後で十分に食べ物を食べられなくてつらい思いをした人たちです。わたしの親も、そうです。飢餓の問題を肌感覚で感じられるのです。WFP協会で親善大使をしてくれている三浦雄一郎さんからも「学校に弁当を持っていけず水を飲んでいた」とうかがったことがあります。飢餓の問題に非常に切実な思いを抱いています。「なんとかしなきゃ」と。

そういった世代が、だんだん少なくなる中、次の世代の人に本当に考えてほしいことがあります。日本は、これだけ豊かで平和な国になりました。その大前提は、平和の大前提は、食べられることです。経済格差の問題は紛争の引き金になります。分かりやすく言うと、食べられるか、食べられないかという問題でもあります。WFPがノーベル平和賞を受賞したから言うわけではありません。日本が経済的に豊かな国になれたのは、世界が平和だったからなのです。平和の礎は、食料の安定供給の上に築かれます。食の安全保障、つまりフードセキュリティーがあってこそ、平和が実現するのです。日本の豊かさは、日本だけで成り立っているわけではありません。ノーベル平和賞の受賞は、次の世代にも認識を新たにしてもらう良いチャンスだと考えています。

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(記事は2020年12月1日時点の情報に基づいています)