目次

  1. 1. デジタル時代は、生の痕跡が多く残る
  2. 2. 「デジタル故人」はあくまで断片に過ぎない
  3. 3. 「完全な復活」はあり得ない

「相続会議」の税理士検索サービス

2019年末はNHK紅白歌合戦で「AI美空ひばり」が話題になりましたね。海を渡った米国では、制作中の映画でCGのジェームズ・ディーンが重要な役を演じることが伝えられて耳目を集めました。共通するのは「故人がデジタルで復活する」というストーリーです。

デジタル遺品に近い話題ということで、私も別の媒体で見解を述べたりしていますが、編集部からもちょうど次の質問を受け取りました。

質問:「いつかデジタルで故人が復活する日はくると思いますか?」

こうした質問も大歓迎です。ぜひお送りください。

デジタル技術の進歩が、生きている人の断片を保存しやすくしているのは確かです。たとえば、スマートフォンが普及したことで、日常生活で動画が残る機会が劇的に増えました。その人の声や言い回し、仕草などがずっと色あせずに残ります。SNSに投稿したら、大勢の人が受け取れるようになります。

また、ショッピングサイトでの購入履歴やネットの接続履歴も自然とたまっていきます。スマートフォンでネットを使えばその周辺の基地局と通信したログが記録されるので、いつどこにいたのかといった足跡も残りやすくなりました。

そうした生きている時の情報が残れば残るほど、その人が亡くなったあとも、より具体的がかたちで再現できるようになっていきます。AI美空ひばりは、生前に美空ひばりさんが残された膨大な音源がベースになりました。CGのジェームズ・ディーンは生前の未編集フィルムを元に作られます(音声は別の俳優が吹き込むようです)。現在はそうした“復活のための素材”が、芸能界のスターではなくても残せる、あるいは残ってしまう時代なのだといえるでしょう。

遺影が普及したのは日露戦争(1904-5)後と言われています。当時は生前の具体的な面影を残すのは至難の業でした。その頃と比べたら、かなり正確で情報量の多い断片を残せるようになったのは間違いありません。

とはいえ、残された音声や映像も、残念ながら断片は断片です。それも、故人の身体そのものではなく、デジタルに変換されたコピーでしかありません。どれだけ忠実に往時の姿を形作っても、それは一面的な再現でしかなく、その人のそのものの復活というにはいささか無理があると思います。

昨今、故人が残したかつての過去の発言を機械学習することにより、その人らしい口癖や語彙、思考回路を再現したコミュニケーションを実現するサービスも生まれています。米国の「Eternime(エターナム)」では、SNSに残したつぶやきなどから死後に当人のコピーを作るサービスを、2014年から提供しています。

マサチューセッツ工科大学メディアラボの客員教授が開発している「Augmented Eternity(オーグメンテッド・エターニティ)」は、亡き経営者の判断力を再現するというコンセプトで、各方面から注目されています。

AI美空ひばりやCGジェームス・ディーンとは違った故人の再現ですが、やはりこれも復活と呼ぶには一面的です。

一方で、亡くなった伴侶が夢に出てきたことを「あの人が帰ってきた」という人はいます。故人の縁のものに変化があって、それが何かの不幸を止めるきっかけになったら「あの人が救ってくれた」と感じる人も多いでしょう。その瞬間に、故人の復活を感じることは自然なことのように思います。

「故人」は生前にやりとりした人や社会との関係性のなかで存在するという見方もできるでしょう。生前に親しかった人たち、ファンだった人たちが、「故人の再現」を目の当たりにして復活を感じることは、とても得がたい体験だと思います。しかし、復活を感じるか否かは受け取る側次第。再現する側が復活を標榜するのは、少し過ぎた行為のように思います。

デジタルは今後もより精度の高い故人の再現をみせてくれるでしょう。

しかし、 それは故人本人ではないはずです。故人が復活するとしたら、生前のその人となりを知る人たちの心の奥での出来事ではないでしょうか。そういう意味で、「デジタルで故人が復活する日」は、人によってはもう来ているかもしれません。人によっては永遠に来ないかもしれません。

少なくとも、その答えはデジタル技術そのものにはないだろうと私は思います。

前回は神奈川県庁のデータ流出問題に関連して、「故人のパソコン、データ消去は至難の業 死後の情報漏洩を防ぐには」を読み解きました。今後もデジタル遺品やデジタル終活に関する疑問を解決していきます。

(記事は2020年2月1日時点の情報に基づいています)

「相続会議」の税理士検索サービス