自分の死後、大切な人へ届けるラストレター 「手紙寺」が行う取り組みとは
生前に大切な人に宛てて書いた手紙を、自分が亡くなった後に届けたり、逆に生きている人が、亡くなった人に宛てて手紙を書いたりすることを勧めるお寺があります。「手紙寺」の住職に狙いを聞きました。
生前に大切な人に宛てて書いた手紙を、自分が亡くなった後に届けたり、逆に生きている人が、亡くなった人に宛てて手紙を書いたりすることを勧めるお寺があります。「手紙寺」の住職に狙いを聞きました。
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1月、雪が舞う中での四十九日法要。故人(享年83歳)が生前に書いた手紙が、喪主を務めた義理の妹に手渡されました。手紙を預かっていたのは東京都江戸川区にある真宗大谷派・證大寺の住職井上城治さん。女性は義姉の遺影の前で手紙を読み進めると、涙がこぼれ、最後には嗚咽が漏れました。
「お世話になってばかりだったのに、私に対して『とてもお世話になりましたね』と書かれていました。本当にうれしいです。義姉は、ほかにこんな人いるのかな、と思うくらい優しい人でした。」
女性にとって義理の姉は、6歳離れた兄の妻でした。夫婦に子はなく、義理の姉は姑である女性の母の世話もよくしてくれたといいます。姉の最期も、女性が足をさすりながら2人で過ごしているうちに息を引き取ったといいます。義理の姉は亡くなる半年ほど前、女性と2人でお墓の申し込みのために寺を訪れました。その際、住職から「ご自身が亡くなった後に、大切な人に手紙を届けますよ」と「ラストレター」を書くよう勧められました。姉はその場で「じゃあ、義理の妹に書きます」といって、背後で女性が見守る中、ペンを走らせました。
ありし日の姉が書いた手紙を読み終えた女性は、「私自身も70代です。残りの人生、迷ったり、困ったりしたときには、この手紙を読み返して、『姉だったらどうするのかな』と問いかけたいと思います」と手紙箱を大事そうに抱えていました。
時空を超えて、自分が亡くなった後、大事な人へ手紙を届ける。そのような取り組みを提供しているのが、一般社団法人「手紙寺」(東京都中央区銀座4丁目)です。
手紙寺が行っているのは、差出人から預かっていた手紙をその人が亡くなった後に受取人に届ける「ラストレター」のほかに、生きている人が、故人に宛てて書いた手紙を預かって供養する「手紙参り」の二つの取り組みです。
手紙を書くための専用ラウンジ「手紙処」がある「手紙寺 船橋」(千葉県船橋市)で、井上さんに手紙寺に込めた思いを伺いました。
なぜ、故人と現世に残された人を手紙でつなぐ取り組みを始めたのでしょうか? その理由は井上さんの原体験にありました。
「後継につぐ、證大寺の法灯を絶やすな、城治9歳」。
これは井上さんが父から送られた手紙の一節です。
当時29歳だった井上さんは、父の七回忌の際に、ふと小学生の時に父から言われた言葉を思い出します。「自分が死んだら、阿弥陀様の上にある手紙を読んでほしい」と。その場所を探すとほこりを被った手紙が本当にあったそうです。手紙は家族に宛てた言葉が綴られていましたが、その最後3行にあったのが「後継につぐ…」でした。
当時は寺の運営について悩みを抱えていた時期でした。井上さんは、父からのこの言葉でその迷いが一気に晴れたといいます。そして、「時を超えて故人から贈られる言葉には強いパワーがある」と痛感しました。井上さんは「人は亡くなったら終わりという人もいますが、『死んだ人も、生きている人が思いを寄せている限り生きているのです』」と語り、自身が故人からの言葉に励まされ続けた経験から、「手紙寺」の取り組みを始めました。
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相続の相談が出来る弁護士を探す父からの「ラストレター」が今の生き方に強く影響を受けているという井上さんですが、具体的には手紙で受け取ることの良さはどこにあるのでしょうか?
「手紙は言葉に余白や行間があり、自由度が高いところです。例えるならば、読書と映画の違いでしょうか。手紙ですと受け取った側でいろいろ想像できます。動画ですと具体的すぎる感じがして、私は手紙がちょうどいいと考えています。その人は亡くなっているわけですから、願いだけ託したら後は受け取った側に任せるのです」
自分が亡くなった後に残された「あの人」に届く手紙(ラストレター)。手紙寺では、オリジナルの「手紙箱」(1万3200円/送料別)を作り、この中にラストレターを収めて封印。寺で厳重に保管しています。本人への安否確認の返信が1年間待ってもこない場合、あらかじめ登録されている受取人に連絡して渡す仕組みになっています。現在、約350個の手紙箱を預かっているそうです。
ラストレターを書こうと思うタイミングは、病気発覚などで死を意識した時がやはり多いとのこと。加えて手紙寺では、お墓を契約されたタイミングで皆さんに書いてもらっているそうです。
ただ、ラストレターはいわゆる遺言とは意味合いが異なります。井上さんいわく、遺言はお金など相続の内容が中心であることから、基本的には一回読んでしまったら終わりです。しかし、そのような手続き的な内容ではないところに、人は大事なものがあるというのです。「お金などの目録よりも、それを作った心構えを本当は伝えたいのではないでしょうか?」と語り、そのような思いもあって手紙寺ではラストレターの書き直しを毎年案内しているそうです。1回書いたらおしまいではなく、年月が経ったら、その時の状況に合わせて内容を改めてもいい。その時その時に書いた気持ちに嘘はないのです。
ラストレターで思いを吐露する意義は他にもあります。 井上さんは、霊園で出会った方を例に説明してくれました。
「病気で最後のお墓参りになるかもしれないという方は、お寺でお勤めをしていると雰囲気で分かる時があります。そのような方にはなるべく声を掛けるようにしています。気弱なことをおっしゃっていても『そんなこと言わないで。また元気で会えるんですから』という励ましはしません。本人が死を覚悟した時に、お寺としての役割は『もう言いたいことがあったら全部言ってくださいね』『言いたいこと言いましたか?』と促すことです。そうすると、本人はほっとするのです。私は死期を迎えた方の看取りもしていますが、未練を残さずに、言いたいことを言っておかないと死ぬに死ねないと思うのです」
死んでしまったら、もう何も伝えることはできません。人は、自分の死を悟ることではじめて本心に向き合うことができ、残される家族らに伝えたい思いがわき起こるのかもしれません。
一方で、大切な故人に宛てて書く「あの人への手紙」はどうでしょうか?故人のことを思ってしたためた「手紙参り」は、手紙寺に置かれているポストに投函(手紙寺宛で郵送することも可)すると、無料でお焚き上げ法要をした後、最終的にはお焚き上げをされます。手紙の内容は誰にも読まれることはありません。手紙寺では、2019年だけで6000通余りの手紙が届けられたそうです。
井上さんは故人へ手紙を書く意義について、お墓参りのあり方が昔と比べて変わってきていることから、それを元に戻すきっかけにしたいというのです。昨今のお墓参りは、タクシーを待たせてサッと帰られる方も多く、お墓に少し触って『お父さん来たよ、バイバイ』と済ませてしまうそうです。
本来、お墓参りというのは故人と語り合うことができる大切な機会。お墓に向かって自身の気持ちや悩みを打ち明けることで、人生の新たなスタートを切れる場ともなります。しかし、現在は、お花を供え、線香をあげ、手を合わせたら終わり…という方が非常に多いと感じているという。
そこで井上さんは、手紙を書くということで故人との「語り合いの場」を取り戻そうとしました。「手紙は一方通行ですが、書いている時間は故人様を思っているので語り合いに近いのかなと考えています」
井上さんの思いは広がりをみせ、故人に向けて書く手紙(あの人への手紙)は、手紙寺に届かない日がないほどまでに増えています。手紙を書かれる人が多いのは新盆を迎える人が多いそうですが、「故人のことを思いながら、不安だとか寂しくなったときに来てほしい」と語りました。
そして最後に、亡くなった人を忘れるようになったのは最近のことだと日本の現状を指摘しました。
亡くなった人を思って寂しがっている人に、「『3回忌なんだから、そろそろ忘れてあげないと故人も浮かばれないよ』などと、ご親族が言われることもあります。しかし、忘れる必要があるのかなと思うのです。頼りになる大切な人を忘れて生きるのか、その人を思い続けて生きるのかでその後の人生は大きく変わります。仏教は、亡くなった方を仏様としていつまでも向き合います。『人は二度死ぬ』と仏教では言います。二度目はその人の名前を忘れた時で、それくらい忘れてはいけないのです」「だからこそ法事があり、仏様と遺族との新しい関係が始まります」と話す井上さん。
「お葬式ではどうしても1回お別れをしないといけません。でも『さよなら』を言ってからもう一度始まるのです。その忘れられない思いを伝えるのが手紙なんだと思います」
人間は生まれた瞬間から死へと向かっていきます。時空を超えて故人と生きている人を結ぶ手紙は、亡くなった人とまた新しい関係を切りひらけるのかもしれません。
(記事は2020年2月1日現在の情報に基づいています)