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空き家になった実家に1800万円かけた松本明子さん 「実家を頼む」との父の言葉で維持し続けた25年(前編)
いつも明るく楽しいトークで周囲を笑顔にするタレントの松本明子さん。その活躍の陰で、25年間空き家だった実家の後始末に奔走していました。最終的に実家を手放すまでにかかった費用はなんと約1800万円! 6月に発売された著書『実家じまい終わらせました! ~大赤字を出した私が専門家とたどり着いた家とお墓のしまい方』(祥伝社)には、松本さんの泣いて笑った実家じまいのいきさつが細かくに記されています。25年の月日を要した松本さんの実家じまいについてお話を聞きました。
大赤字を出して維持し続けた実家 ほんろうされ続けた25年
――ご実家は宮大工さんが建てられた立派な一軒家だと伺いました。お父様にとってもとても思い入れのあるお家だったのでしょうね。
昭和一桁世代に生まれた父にしてみれば、マイホームを持ってこそ一国一城の主という意識が強かったと思います。会社員だった父は高松市の郊外に総ヒノキ造りの平屋建ての5DKの家をローンで建てました。1972 年、私が6歳のときです。釘などの金物を使わずに木組みで建てた純和風の家。凝った欄間や床の間があり、庭には大きな庭石や石灯籠もありました。家の周辺にはトラックで大量の石を運んで石垣まで作ったんですよ。高松市の中心部から8キロも離れた小高い山の上で、市街地に出るのにはひと苦労でしたが、子どもながらに借家から移り住んだときは感動しましたね。父は遠くに瀬戸内海、眼下に高松市内が広がる景色を縁側に座って眺めるのが大好きでした。
――空き家を25年間も維持したそうですが、長年、空き家になったのはどうしてなのですか?
15歳まで高松の実家に住んでいたのですが、どうしても歌手になりたくて、日本テレビ「スター誕生!」チャンピオン大会に合格したことを機に15歳で上京しました。ところが、デビューはしたものの、長いこと鳴かず飛ばずでね(笑)。「進め! 電波少年」、「DAISUKI!」(日本テレビ系)のおかげで、やっと忙しくなったんです。そうすると掃除や洗濯、炊事など、身の回りのことをやる余裕がなくなってしまってね。
私は両親が30代半ばを過ぎてから生まれた子どもなので、このとき両親は60半ばになっていました。私もやっと余裕ができたので、そろそろ親の近くで親孝行もしたい。同時に身の回りのことも任せて甘えられるんじゃないかという思いもありました(笑)。そこで両親を東京に呼び寄せて賃貸マンションで一緒に暮らすようになりました。27歳の頃でした。10歳離れた兄は、大学進学にすでに上京していたので、両親が上京してから実家が空き家になってしまったのです。
――実家は松本さんが継がれたのですね? 空き家を維持するには、手間もお金もかかると察しますが、どのようなメンテナンスをされていたのでしょう?
両親と暮らし始めてしばらくした頃、父から実家を継いでほしいと言われたんです。兄がいますが、すでに東京で家庭を持ち、マイホームも手に入れていたことと、やはり浮き沈みの激しい芸能界で生きる娘の将来が心配だったのでしょうね。兄も承諾してくれたので、父は実家に2000万円くらいの価値があると考え、兄には実家の価値の半分ぐらいの金額を自分たちの保険などを解約するなどして贈与し、兄も贈与税を払いました。ただ、実家の価値については後々とんでもない勘違いだったということがわかるんですけどね(笑)。
実家はいつ帰ってもいいように電気と水道は止めなかったので、水道代や電気代、固定資産税、火災保険などを合わせて年間約27万円、他に折を見て草むしりや掃除をしに帰っていましたので、交通費もかかりました。後に体力的にきつくなり、草木の手入れは外注。さらに2度のリフォーム、両親が亡くなった後には不要家財の処分などで、結果として1800万円かかってしまったというわけです。
病床の父から「明子、実家を頼む」との遺言 実家じまいをためらう
――今、振り返って、実家じまいに踏ん切りがつかなかった原因にはどのようなことが考えられますか?
2003年、私が37歳のときに父が亡くなりました。亡くなる直前に病床で私に、「明子、実家を頼む」と声を絞り出すように言ったのです。娘の将来の心配、そして自分が生きた証を残したかったという思いがあったと思います。なにせ父のこだわりを詰め込んだ家でしたからね。そしてその4年後に母も亡くなったのです。両親を亡くした喪失感は想像以上に大きく、なかなか立ち直れませんでした。息子はまだ小学一年生だったので、子育て真っただ中。親の銀行口座や保険の解約などの雑務に追われ、体調も崩して実家じまいなんてとても考える余裕もないまま時間が流れていきました。
さらに母が亡くなった3年後の2011年発生した東日本大震災。もしものときは、東京を離れて高松の実家を避難場所にしようと思って、台所、トイレなどの水回りを全面改修し、350万円かけてリフォームしたんですよ。やはり、「実家を頼む」という父の言葉が、なかなか実家じまいに着手できなかった大きな原因だと思います。
――実家じまいを具体的に始められたきっかけはあるのでしょうか?
気づきのきっかけは空き家問題を考える番組に出演したときに、専門家の方のご意見をうかがったことですね。放置された空き家は倒壊の危険や放火、犯罪の温床になる危険性もあること。周囲に危険を及ぼす可能性のある空き家の所有者には固定資産税を最大6倍にする「空き家対策特別措置法」の施行もあり、空き家に対する世間の注目が集まっていたときでした。その後、実家の片付けをテーマにした『クローズアップ現代+』(NHK)に出演し、そこで実家を放置しておくと、後に自分の子どもや孫が苦労することを知り、実家と向き合うようになったのです。
たしかに私も息子も将来、高松の実家に住む可能性は限りなくゼロに近い。「もう、いいよね」、と思えるようになりました。一番大きかったのは、実家にほんろうされている私を見て、連れ合いから「実家どうするの? 手放してもいいんじゃないか」と言われたことですね。40歳のときでした。みんな見かねてたんでしょうかね(笑)。同じ時期に義母や兄、親戚からも背中を押され、母が亡くなって10年という節目もあり、ようやく「実家を手放そう」と前を向きました。
600万円かけてリフォームしたのに査定額はわずか200万円
――大きな決断でしたね。実家じまいは、まずどこから始められたのでしょう?
父がこだわり抜いた家とはいえ、そのときにはもう築45年たっていました。しかも高松の郊外です。そう簡単に売ったり貸したりはできないだろうとは思っていました。いずれにせよ、きれいで使いやすくしなきゃと思って、電気設備の交換やユニットバスの改修など、250万円かけて2回めのリフォームをしたのです。前回のリフォームと合わせると600万円。なかなか痛い出費でした。
さぁ、これで売却する準備が整ったと、地元の不動産屋さんに査定してもらったら、なんと!「築年数が古いので上物の価値はゼロ、土地の価値だけの200万円」と言われてしまいました。耳を疑いましたよ。目の前真っ暗。うそでしょ? リフォームに600万円もかけたのにですよ。もうショックで言葉もでませんでした。さらに追い打ちをかけるように不動産屋さんは言いました。「更地にすれば買い手はつきやすいですが、500万円ほどの費用が必要です」。私はその場に倒れそうになってしまいました。でも実は、これはほんの序章だったんです(笑)。
テレビの明るい顔の裏でご両親の介護、みとりと子育てを両立させながら実家問題と格闘された松本さん。やっと実家じまいに着手するも、いきなり不動産査定でつまずきました。果たして、実家は売却できたのでしょうか。後編をお楽しみに!
(記事は2022年7月1日現在の情報に基づきます)
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