泣きじゃくるシーンも さらけ出してくれた寂聴さん

映画では、寂聴さんの晩年の日常が描かれていきます。あの破顔一笑、肉をたいらげる姿、病気で入院するも退院後に前向きにリハビリに取り組む様子、リモート収録がうまくいかず、中村監督に迷惑をかけたと泣きじゃくる場面、安保法制改正に反対して車いすで国会前のデモに加わる行動。これまでもNHKなどのテレビ番組で寂聴さんにカメラを向けてきた中村監督は、寂聴さんと自分の「奇妙な関係」は何なのかを探ろうともします。

東京都内のホテルのレストランで一緒に食事をする中村裕さん(奥)と瀬戸内寂聴さん。どこにいても寂聴さんは天真爛漫に振舞ったⒸスローハンド
東京都内のホテルのレストランで一緒に食事をする中村裕さん(奥)と瀬戸内寂聴さん。どこにいても寂聴さんは天真爛漫に振舞ったⒸスローハンド

——17年間、寂聴さんを撮影し続けることができたのは、信頼関係のたまものとは思いますが、改めて、どうして長期間撮影できたのでしょうか。

中村裕さん(以下中村):これは、先生が僕を受け入れてくれたということに尽きると思います。僕がいくら撮りたい撮りたいといってもだめで、先生は、プライベートを撮られるのは嫌がる人でしたから。ちゃんと法衣を着て、ぴしっとライティングがある中で、ニコッとして受け答えするということ以外は、あまりしたくない人でした。

2008年か2009年頃から、先生の日常を撮りたいという気持ちが強まりました。先生の中では、本当は「嫌だな」という気持ちがあったのかもしれないですけど、僕と会うという時は、カメラがあるというのが一つの前提になっていたので、途中から先生はあきらめたんじゃないかと思います。「しょうがない、もうすべてさらけ出すしかない」と。

撮影は、百科事典などを積んで、上にカメラを回しっぱなしで置くというスタイルだったので、最後は、カメラが回っていることも意識せず、カメラは空気のようになっていました。先生自身はどんなものが撮れているのか、つながったものを見ないと全く分からなかったと思うんですね。

——寂庵のある京都に行く時の監督のお気持ちはどんなでしたか。

中村:やっぱり、わくわくしていました。日常、電話やメールのやりとりはしていましたので、最後の2年くらいは、指がうまく動かなくなって、メールより電話の方が増えましたけれど、常に先生とのチャンネルはありました。会いに行くときは、「どんなことを聴こうかな」とか、「最近何があったのかな」とか、楽しみにしていました。仕事という意識がないわけではなく、毎回、撮るものの見当は多少つけていくのですが、先生のコンディション次第という要素もありましたし、「とにかく行ってみて考えよう」という感じでした。

もう一つは、瀬戸内寂聴さんに会いたいという人が日本中にものすごくいるわけで、そういう中で、会うことが許されているのは意識しないといけない、と思っていました。尊い機会を大切にしなくては、という気持ちでした。

2020年、京都・寂庵の食卓での瀬戸内寂聴さん。お酒を飲み、大好物の牛肉を食べながら、中村裕監督とよく談笑したⒸスローハンド
2020年、京都・寂庵の食卓での瀬戸内寂聴さん。お酒を飲み、大好物の牛肉を食べながら、中村裕監督とよく談笑したⒸスローハンド

——世代を超えてアイドルのように社会に受け入れられた寂聴さんの魅力とは、どんなものだったのでしょうか。映画にはそれが映り込んでいますか。

中村:もともとチャーミングな方なので、普通にカメラが回っていけばおのずとその魅力は撮れていくものだと思っていました。リモートのテレビ収録がうまくいかなくて、僕に恥をかかせたといって尋常でなくエンエン泣くシーンがあったのですが、あれは先生の一番かわいいところが出ていて、先生には「あんな恥ずかしいところ出して」って怒られるかもしれないんですけど、感動的なシーンでもありました。

少女のように、落ち込んだり心が動いたりしているんですね。心が動いているということだけでも、何かすごいことだなと思いました。泣いているかと思うと合間にニコッと笑う場面もあって、千両役者だな、大変な人だなと思いました。

寂聴さんと共感した死生観「野垂れ死」、死は怖くない

——寂聴さんの人生を通し、人はいかに生き、老い、死ぬかということも考えさせられる映画でもあります。監督ご自身は、どうしていこうと思いますか。

中村:僕は、おのずと薫陶を受けているところがあると思います。改めて振り返ると、泣いているシーンの話でも明らかなのですが、先生はリモートと聞いたらとりあえずやってみる。それで失敗したら落ち込んで泣く。失敗を恐れずに新しいことをやってみようという気持ちです。これを忘れずにいた方がきっと人生が楽しいだろうと思うんですね。年を取ったからといって、失敗しない、なるべく安定した、波風立たない方向を選択していくと、心が老いていく。心の運動を止めないことがすごく大事です。

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——死生観のようなものは影響を受けましたか。

中村:先生と会って一番共感したのが、「野垂れ死」に憧れるという点でした。絶対的孤独の中で、誰も知らないところで死ぬというようなもの。絶対的な絶望感の中で死ぬというのを最後に味わうのはいいんだろうな、という気がしています。僕は、死ぬことは怖いと思ったことが全くないんですよね。重病を宣告されてじわじわ死んでいく場合でも、そこで自分の生き様が決まると思う。死んでいく時の生き様って一番大事なところなので、人間が試されますよ。

死ぬのが怖くないっていうのは、これから先、そんなに今までより良いことがあるという気もしないので、だんだん弱っていくんだったら、今できることを精一杯やっていって、それで明日目が覚めなくても全然かまわないということです。病気になったら、生きたいと取り乱して叫ぶかもしれませんけど、その時は、僕が問われるわけです。先生も「明日死んでも悔いはない」と言っていて、うそはないと思いますし、そこは影響を受けたのではないかと思います。

寂聴さんからの教え、「危なくても、やりたいと思ったらやる」

——監督は「寂聴先生も、どこかでこの映画を見ているかもしれない」とおっしゃっていましたが、そういう感覚は信じられますか。

中村:2014年くらいの取材の時に、「私が死んだら、あなた、さみしいわよ」っておっしゃって、普通なら先に行く方が、「あなたと別れるのはさみしいわ」というのでしょうが、先生は逆に心配している。それが実際、亡くなっていく人のリアルな感情なんだろうという気がしています。

亡くなった後、もっと喪失感にさいなまれるだろうと思っていたのですが、それがないというのは、たぶん先生のおかげだろうな、と思います。ここで先生だったら何て言うだろうなとか、今のウクライナの問題でも何か突拍子もないことをしたのではないかなとか、四六時中、先生と一緒に考えているということはあるのかもしれないです。

2020年ごろ、京都・寂庵で厳粛なムードの中、原稿を執筆する瀬戸内寂聴さん。このころになると、寝室に原稿用紙、万年筆を持ち込むようになったⒸスローハンド
2020年ごろ、京都・寂庵で厳粛なムードの中、原稿を執筆する瀬戸内寂聴さん。このころになると、寝室に原稿用紙、万年筆を持ち込むようになったⒸスローハンド

——現代の社会の中で寂聴さんが心配していたのは、どういう点だったのでしょうか。

中村:「私はみんなより先に死ぬんだから、もう知ったこっちゃない」ともいっていましたが、コロナなどもあって、すごく不寛容な空気が蔓延していることを、先生は憂えていました。

例えば、不倫は個人的なことなのに、世の中がよってたかってバッシングするというのは、やっぱり過剰反応だと思う。怒っていいのは当事者だけだと思うんですよ。寂聴先生は「不倫も純愛だったらいいけど、こっちもとりたいし、家庭も捨てたくないというのは、地獄に落ちる」と言っていました。「何かを得ようと思ったら何かを捨てるという覚悟がないなら最初からやめなさい」とも言っていました。自分のしたことにどういう風に落とし前をつけるのかというのは、どんな方でも、自分の生が続いている間は考えなくてはいけないですね。

先生は「自由」と「愛」という人間にとって大事だけれど、非常に厄介なテーマを求めた方です。これらは、すべての人に共通するテーマですよね。自由に生きるには、また愛に生きるにはどうしたらいいか。それぞれの人が厄介な問題を抱え込んで自分なりに考えていくしかないですよね。それが先生が残した宿題なのかもしれないです。

過去何百年と、文学、映画、音楽、絵画などの中で扱われてきたことで、その中に先生がいる。時代が変わっていく中で、愛と自由を考え、自分の子供や教え子や部下に引き継いで、少しずつ変化したり発展したりするのがいいのではないかな、とも思います。

——中村監督が、寂聴さんから承継したい考え方があれば教えていただけますか。

中村:「危ないなと思っても、やりたいと思ったらやってみる」という言葉、考え方です。特に日本では、親は、子どもが失敗しないようにと考えるケースが多くて、「人に迷惑をかけるな」と子どもに言い聞かせる親も目立ちます。

僕は、迷惑はかけあうものという方が社会の本質のような気がしています。さすがに迷惑をかけっぱなしというのはだめですが、かけたりかけられたりするというのが、これから、いろんな人が共生していく社会では必要な考え方なのではないでしょうか。そのためには、人を思う心、気持ちの強さが大事で、それを先生が示してくれました。皆がそれを考えて実践していくことが、この不寛容な時代の空気を変えていくためにも、少しは必要かな、と思います。

映画監督・中村裕さん(62)プロフィール

なかむら・ゆう/1959年生まれ。映像ディレクター。NHKスペシャル「いのち 瀬戸内寂聴 密着500日」で2016年ATP賞ドキュメンタリー部門最優秀賞

「瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと」 2021年に99歳で亡くなった作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんを17間撮り続けたドキュメンタリー映画。中村裕監督が京都・寂庵に通い、寄り添いながら取材し続けた。衰えから弱気になり、そして再び命の炎を燃やす「最期の日々」など、寂聴さんのありのままの日常を映し出す。

(記事は2022年5月1日時点の情報に基づいています)