今年55歳の古田敦也さん。選手引退から13 年になるが、いまも現役当時とほぼ変わらない体形を維持しています。野球教室などで子どもたちを相手に指導する機会が多く、一緒に走ったり手本を見せたりするためだと言います。

「いまは節制できない人は評価が低かったりしますし。実際にやってみせて『おお、すごい!』と思わせられないと説得力に欠けますからね」

新型コロナウイルスの感染拡大防止によって、予定されていたスポーツイベントは軒並み中止。古田さんは「ぽっかり空いた時間」をどうしていたかというと「散歩」に費やしていたそうだ。

「自宅を基点に360度、毎日違うコースを歩くんですが、これが意外と楽しかった」

普段は車での移動が多く、自宅近くの地理を把握しているようで、いつも通るのは仕事場からの最短距離だけ。だから、これまでまったく視界になかった路地を見つけると、好奇心で「もうバンバン入っていく」と少し日に焼けた顔で笑う。

──ところで、古田さんは少年野球の指導以外にも、社会貢献活動や寄付活動に多く参加されていますが、きっかけは何ですか?

「野球を通じた青少年の健全な育成のために1993年から続けているチャリティゴルフ大会に参加したりと、寄付活動には現役時代から関心を持っていました。大きなきっかけになったのが、引退後の2010年だったかな。海外の雑誌の企画で声をかけてもらって、僕がハワイのホノルルトライアスロン大会に挑戦することで、このチャレンジに賛同してくれた方々から、不登校の子どもたちを受け入れている学校の支援のための寄付を募ったんです。今でいうクラウドファンディングのようなものかな」

──トライアスロンは、遠泳と自転車とランニングの複合競技ですよね。

「そうです。最初に1.5キロ海を泳がないといけない。僕らの子どもの頃には、野球選手は体を冷やすのはよくないから泳いだらいけないと言われてきた。だから僕は泳げなかったんです(笑)。それを3カ月間かけてトレーニングし、少しずつ泳げる距離を延ばし、本大会に出たんです。寄付の目標額は100万円でしたが、目標を超える金額が集まりました」

──泳いだこともなかったのに思い切った挑戦でしたね。

「寄付することももちろん大事なのですが、寄付を呼びかけるということの方が大きな力になると思うんです。人って、面白いもので『あの人がやっているんだったら』と自分もやってみようという気持ちがつくられていくでしょ。たとえば、アイドルの人が声をかけると、すごい広がりになったりする。そういった意味でも、僕も挑戦するからには、簡単に出来そうにないものでなければと思ったんです。同じ雑誌の企画で、戦地で片脚を失った男性が『自分はロンドンマラソンに出るのが目標だったので応援してほしい』と、戦地から自国に戻ったけれども立ち直れずにいる人たちを支える活動をしている団体への寄付を呼びかけたんです。そうしたら世界中から2億円もの寄付が集まったんです」

この話には続きがあると古田さんが教えてくれた。寄付は集まったもののロンドンマラソンの主催者は、当初は松葉杖ランナーの参加を認めなかった。けれども世界中から集った寄付活動の盛り上がりに、参加を認めざるをえなくなり、男性は松葉杖でスタートラインに立つことができた。男性のマラソン参加という夢は叶った。しかし、大会にはゴールまでの制限時間内が設けられている。当然のように規定の時間に間に合わなかったが、男性は大会終了後も何時間もかけてひとりゴールを目差した。そして、いよいよゴール目前。なんと彼ひとりのためにゴールテープが用意されていたのだ。そのゴールシーンは世界中にニュース配信され、映像を見た人たちからさらに寄付が集まった。

「彼が行動を起こさなかったら、僕たちは、戦地から帰ってきた人たちの心の傷に関心を寄せなかっただろうし、その痛みを癒す団体の存在も知らなかったでしょうね。有名人でなくとも、誰でも呼びかけて行動を起こすことはできるんですね。日本では、関心はあっても、欧米に比べるとそういうことには慣れていない。だから、誰もが簡単に参加できる仕組みがあればいいなと思いますね」

──古田さんのような著名人になると、いろんな団体からの呼びかけ人への誘いかけが多いと思うのですが、「参加する、しない」の判断はどうされているのでしょう?

「じつは、基準のようなものはないんですよ。たまたま、お仕事で一緒になった人から声をかけられて、ということが多いかな。どちらかというと小さなところ、集まったお金はこういうことに使いますというのが具体的で、賛同できるものには出来る範囲のことはするようにしています」

──寄付活動に関わらず社会貢献活動に積極的だったりするのは、古田さんご夫婦にお子さんがいないということは動機づけとして関係していますか?

「自分に子どもがいる、いないということは実はあまり意識したことはないです。子どもは地域で支えないといけないとよく言われるでしょう。僕もそうだと思うんです。僕らが子どもの頃は、小さな町内で貧乏だったけど、隣のおばちゃんとも仲良かったし、気にかけてもらっていた。そういうのもあって健全に育ってきたんですよね。いまは核家族になって、隣に誰が住んでいるかわからないと言われる。だからこそ、僕らはスポーツを通じて、地域で子どもたちを育てていく。そうすることで、子どもたちにも、社会性が育まれると思うんです。結局、人はひとりで何かするということはできないわけですから。何らかのチームで戦うことになる。そうしたところでの協調性も含めて、子どもを見守っていく取り組みがあったほうがいいんじゃないか。だから機会があると、そういう活動にはできる範囲で関わっていこうと思っています」

──将来的にこの国で、寄付文化やボランティア活動がどういう形になっていけばいいという考えはありますか?

「これからは相互に分かり合える、支え合うということが大切になっていくと思うんです。
今はもう自分のことで精一杯、人のことを思いやる余裕がない状況だというのもわかるんです。先日、コロナの一時金給付の中から医療従事者や子どもたちを対象に使い先を決めて、いくらかでも寄付してもらえませんかと募る活動に参加したんです。興味深かったのは、いちばん寄付した層が20代。金額ではなくてね、人数が。二番目が30代。これを見て僕は、期待が持てると思った。クラウドファンディングが浸透してきたからか、若い人たちにとって寄付というもののハードルが低くなってきているんでしょうね。1000円、2000円でも寄付しようとしてくれる。これは大きな出来事。嬉しい出来事ですよね」

──まだ先の話ですが、ご自分が亡くなった後に遺産を寄付するということを現実的にお考えになったり、ご夫婦でお話になったりすることはありますか?

「資産が残っていればの話ですが、遺贈寄付については考えています。まだ夫婦で話をする機会には至っていませんけど」

──いま寄付をしたいなと漠然と考えている人に向けて一言いただけますか。

「たとえば、自分のお父さんががんで亡くなった。だから自分はがん撲滅のための活動をしているところに寄付をする。交通事故で親をなくしたから、そういう子どもたちのために活動をしている団体に寄付をする。そういう方が増えています。インターネットで調べて、自分の境遇に近い人たちに何かしようとするのもいいし、災害の際には『電話でできる基金』もあります。そうした身近なところから入ってもらえるといいと思いますね」

ふるた・あつや
野球解説者、スポーツキャスター。1965年兵庫県生まれ。立命館大学、トヨタ自動車を経て89年ドラフト2位でヤクルトスワローズ入団。野村克也監督の下、1年目から正捕手として活躍。91年セ・リーグ首位打者。日本プロ野球選手会会長も務める。06年から監督兼任。07年引退。著書に『フルタの方程式 バッターズ・バイブル』(朝日新聞出版)、『うまくいかないときの心理術』(PHP新書)など。

(記事は2020年9月1日現在の情報に基づきます)