――お母さんの死を漫画にしようと思われたきっかけはあるのでしょうか?

 なぜ描いたかというと、“おもしろい”からなんです、おもしろいと思ったのは、自分の反応です。それまで、僕は自分の周囲で身近な人が亡くなるという経験をしたことがなく、飼っていた犬が死んだときも、母や兄が泣いているのに、僕は泣けなかった。自分は冷たい人間なんだと思っていました。

母の死と直面したときに、想像もしていなかった衝撃がやってきました。まるで、自分の心のレバーが「ガチャン」とウエットに入ったみたいな衝動。動揺したりセンチメンタルになったり……。そんな一つ一つの反応を客観視すると、なにか自分の新しい機能を発見したような気持ちになりました。「自分はこんな人間だったんだ!」と気づくことが多くて、それがおもしろかったんです。これは描かなければ!と思いました。

母の闘病中、医師から言われたことや母との会話をスマホにメモしていたので、それをもとに、母の死の1年後に漫画を書き始めました。

――衝撃的なタイトルですが、このタイトルにされた理由は?

火葬場で母の遺骨が片付けられようとした時の直感的な思いが、漫画のタイトルになったそうです。
(c)宮川サトシ/新潮社
火葬場で母の遺骨が片付けられようとした時の直感的な思いが、漫画のタイトルになったそうです。 (c)宮川サトシ/新潮社

これは「そのときにそう思った」としか言えないのですが、今、理由を考えるとすべて後付のような気がします。現在もそうかといえば、もうそんな気持ちにはならないので、いわば衝動でしょうね。

火葬場で骨壷に入らない母の小さな骨を火葬場の方が片付けるのを見て、「え!もう下げるの? それ、どうするの!もったいない。だったら、食べたい」という感じでした。ちょっと衝撃的すぎるので、タイトルは変えたほうがいいという意見もあったのですが、どれもしっくりこない。ガツンときた、あのときの気持ちはこのタイトルでしか表現できないと思いました。スーパー主観です(笑)。母の死の瞬間に、「ありがとう、おつかれさま、さようなら、自分が死んだらまた会いたいです」という気持ちをせんぶ込めた「愛しとるよ」という言葉が出たのも衝動です。

――漫画にされたのは1年後ということですが、気持ちの整理に時間がかかりましたか?

ずっと母のことばかり考えていたわけではないのですが、ふとした瞬間に思い出してしまうんですよね。母が書き残した文字、病院からの帰りによく一緒に行った回転寿司屋の看板……。母を連想するものにふれるたびに、どうしようもない悲しさがこみ上げました。

そうした物だけじゃなく、母が亡くなったときの病室の光の入り方や匂いなんかと似たような時間やシチュエーションに遭遇すると思い出す。また、母の死と全く関係なく映画を観ていても、その映画が制作されたのが、まだ母が生きているときだったら「ああ、この空間の中では母は生きている。この空や地続きに母はいるんだな」と思うと、寂しさが襲ってきました。

気持ちの整理なんてできなかったですね。そのうちに、自分のなかでふくれあがった「悲しみのおでき」がボコンととれて、それを見ている自分がいた感じです。悲しいけど、おもしろい。めいっぱい悲しんだら、自分を客観視できた。その客観視の集大成が漫画なんです。

ーー 悲しみや寂しさが思い出に変わるまでどれくらいの時間がかかりましたか?

2~3年はかかりましたね。今思うと、わざと母のことを思い出していた部分もあるような気もします。そうすることで、無意識に自分の心にかさぶたを貼ろうとしていたんでしょうね。それを繰り返すことによって、かさぶたを角質化させたような気がします。
でも、地元にいては、どうしても母の死が襲ってくる。思い出が多すぎる。そこで、東京に移住することを決めました。僕は大学も地元で、卒業後も岐阜で小さな塾を開いていたので、それまで一度も実家を出たことがなかったんです。

東京へ行って漫画の仕事を探すなんて大冒険でした。大切な人を亡くされて悲しみのなかにいる方は、環境を変えるのも一案じゃなかと思います。

母の最期、衝動的に出た言葉は「愛しとるよ」という言葉でした。(c)宮川サトシ/新潮社
母の最期、衝動的に出た言葉は「愛しとるよ」という言葉でした。(c)宮川サトシ/新潮社

ーー 家族を亡くされた読者の方からの相談も多いと伺いました。

「自分だけじゃないんだと思いました」というような内容のお便りをたくさんいただきました。すべての内容に共感できて、「わかる!ですよね!」としか言いようがないものばかりでした。

母を亡くした当時は彼女でしたが、現在の妻は、高校生のときに母を亡くしているんですね。いわば母を亡くした先輩。ですから、僕が急に心が重くなったときなどは、彼女にその気持を吐露していました。「わかる、わかるよ」と共感してくれたことがとても大きな支えになりました。

僕は漫画という形で昇華させましたが、辛いときはその気持を吐き出して、さらに言語化すると、自分の気持ちが整理され、心が軽くなると思います。

『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』宮川サトシ/新潮社
『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』宮川サトシ/新潮社

ーー 漫画ではとても仲の良い親子関係が伺えます。

うちは男ばっかりの3人兄弟。僕が3人目なので、母は女の子が欲しかったのか、僕を女の子のような感覚でとらえていたようです。服も僕だけ明るい色を着せたりね。兄たちはどちらかというと男っぽい性格で、思春期の頃なんか「おふくろ、うっせーよ!」という感じで、あんまり母と話をしなかったんですが、僕は本当によく母としゃべりました。

学校や仕事でその日にあったことやテレビの感想、どんなことでも何時間でも話してましたね。闘病中も塾の講師という仕事柄、日中に時間がとれるので家族のなかで僕が一番多くの時間を母と過ごしました。実は僕、大学生の頃に白血病にかかったんですね。母の死後、ある1本の電話で、母が僕に内緒で遺してくれていたものを知ることになりました。

母、明子さんが、宮川さんに内緒で遺してくれていたものとは?! そのお話は後編に続きます。