母に相続させるため子どもたちが相続放棄

昨年、当事務所のHPをご覧になった女性から相続手続きのご依頼がありました。名前はA子さん。父親のN氏が亡くなり、A子さんの母親でN氏の妻であるN子さんが全ての財産を相続するようにしてほしい、とのご依頼でした。N夫妻の子はA子さんを含め全員で4人。母親思いのA子さんが中心となり、N子さんが全ての財産を受け継げるよう、「きょうだいは、みんなで相続放棄の手続きを済ませてあります」とおっしゃいました。なので、後の預貯金など金融資産の名義変更の手続きを頼みたいとのご依頼でした。
N子さんから委任状や相続放棄の受理証明書など必要書類をお預かりし、手続きを開始しました。ただ、この時、実は、少々の不安を抱いていました。引っかかったのは、A子さんの「みんなで相続放棄の手続きを済ませた」という言葉です。この不安は、後に的中しました。大きな問題にはならなかったのですが、まさに「相続放棄の落とし穴」だったのです。

相続の手続きはまず、お亡くなりになった方の出生から死亡までの戸籍を取得するところから開始します。N氏の戸籍を順番に取得していったところ、兄弟姉妹が5人いることが分かりました。5人のうち4人が存命。もう1人は既に亡くなっていて、娘が2人いることが分かりました。

A子さんたちの家系図
A子さんたちの家系図

N氏に兄弟姉妹や姪がいるとなると、このままではN子さんはN氏の遺産すべてを相続できなくなります。当初の不安は的中です。A子さんたちは相続放棄をしたというのに、なぜなのでしょうか?

相続人には順番がある

N子さんが遺産をすべて相続できない理由を説明していきます。
その前提として大切になる「相続人の順位」から解説していきましょう。
お亡くなりになった方(被相続人といいます)の相続人になる人は、法律で決まっています。

まず、被相続人に配偶者がいる場合は、その配偶者は必ず相続人になります。そして被相続人に子がいる場合は、子が配偶者と並んで相続人となります(第一順位の相続人)。子が先に亡くなっていても、孫がいる場合はその孫が相続人となります。これを代襲相続といいます。
被相続人に子や孫がいない場合は被相続人の親が相続人となります。親は第2順位の相続人です。まれだとは思いますが、親が既になく祖父母が存命の場合は祖父母が親の代わりに第二順位の相続人となります。

被相続人に、子や孫も、親や祖父母もいない場合は、被相続人の兄弟姉妹が相続人です(第三順位の相続人)。亡くなっている兄弟姉妹があれば、その子である甥や姪が亡くなった兄弟姉妹に代わり相続人になります(代襲相続)。
つまり被相続人の子、親、兄弟姉妹が同時に相続人になることはありません。別の見方をすれば、被相続人に子が無い場合は親が、親もない場合は兄弟姉妹が相続人になるということです。

法定相続人は被相続人との関係性に基づいています
法定相続人は被相続人との関係性に基づいています

N氏の相続人は誰?

ここで本題に話を戻します。N氏の子であるA子さんたち4人きょうだいは相続放棄をしました。実は、相続放棄をすると初めから相続人ではなかったことになります。つまり相続の場面では、N氏には初めから子がない形になってしまうのです。そうすると、すでに説明した相続人の順位に従い、次は親が相続人となるわけです。が、N氏の親は数十年前に他界しております。そこで、さらに次の順番の兄弟姉妹がN氏の相続人として登場するのです。このため、最終的にN氏の相続人は、N子さんと、N氏の兄弟姉妹のうち存命の4人と、亡くなった兄弟の娘である2人の姪ということになります。

【当初の相続人】

当初の相続人は、赤丸で囲った、N子さんに加え、A子さんを始めとする子どもたちでした
当初の相続人は、赤丸で囲った、N子さんに加え、A子さんを始めとする子どもたちでした

【相続放棄後の相続人】

子どもたちが相続放棄すると、赤い丸で囲った、N氏のきょうだいたちも相続人になってしまいました。
子どもたちが相続放棄すると、赤い丸で囲った、N氏のきょうだいたちが相続人になってしまいました。

相続手続きには相続人全員の合意が必要

遺産の相続手続き

次に遺産を相続するために必要な手順を説明いたします。もし被相続人が遺言を遺していれば、基本的に遺言の内容に従って遺産が継承されます。
しかし遺言が無い場合は、相続人全員の話合いで遺産の分け方を決めることになります。この話し合いを遺産分割協議といいます。この遺産分割協議には、相続人全員が参加のうえ合意し、その内容を文書にまとめて各自が署名と実印で捺印することが必要で(遺産分割協議書)、誰か1人でも反対する人がいると相続手続きを進めることはできません。
今回の事例では、N子さんが遺産を相続するためには、他の相続人たち、つまりN氏の4人の兄弟姉妹と2人の姪の合意を得たうえで署名捺印をもらう必要があります。はたしてほかの6人があっさりと賛成してくれるでしょうか。

相続人によって異なる相続分

ここで各相続人の取り分である相続分についても触れておきましょう。相続人が法律で決められているのと同様、相続分も法律で決められております。相続人が配偶者と子の場合は配偶者が1/2、子が1/2です。相続人が配偶者と親の場合は配偶者が2/3、親が1/3。相続人が配偶者と兄弟姉妹の場合は配偶者が3/4、兄弟姉妹が1/4です。今回の事例だと、N氏の兄弟姉妹と姪たちは、N氏の遺産の1/4をみんなで受け取る権利があるのです。これは正当な権利なので、兄弟姉妹たちが主張すれば、N子さんは譲らなければならないでしょう。

相続人に伴う法定相続分
相続人に伴う法定相続分

相続放棄と異なる「相続分の放棄」

今回の事例では、N氏の兄弟姉妹も姪たちも、生前のN氏がN子さんと仲睦まじかったことをよく知っていました。また、N子さんがN氏を献身的に看取ったことも分かっていて、後に残されたN子さんを案じ、遺産のすべてをN子さんに引き継ぐ形で、快く遺産分割協議に応じてくださいました。よってN子さんは何とか遺産を全て相続することができました。

ではA子さんはどうすればよかったのでしょうか。せっかくN子さんのこれからの暮らしを心配し、子どもたちみんなで相続放棄をしたのに、そのことがかえって仇となり、N子さんは全ての遺産を相続できなくなってしまいました。
A子さん達がすべきだったのは、相続放棄ではなく、「相続分の放棄」でした。相続放棄をすると先ほどご説明したように、初めから相続人ではなくなるため、思いがけない人物が相続人になってしまうことがあります。しかし相続分の放棄であれば、「自分は遺産はいらない」という意思表示にすぎませんから、相続人であることには変わりはありません。

相続分を放棄する方法は、相続人全員の話し合い、つまり遺産分割協議の中で、その旨を伝え、遺産分割協議書に記載すれればいいだけなのです。
相続に関する法律や手続きは複雑なものもあるため、落とし穴に落ちないよう専門家に相談するのも一つの手です。何か少しでも気がかりがあったり、自分の手続きが合っているか不安になったりしたら、一度、相談してみてください。

まとめ

相続放棄は相続人が各自家庭裁判所に申し出て行うものですが、これは一般的には被相続人に借金などの負債が財産より多い場合に検討すべきものです。相続分の放棄のつもりで相続放棄をしてしまうと、今回の事例のように大変な事態になりかねません。せっかくの配慮が逆の結果を招いてしまう、相続放棄の意外な落とし穴に充分にご注意ください。

(記事は2021年7月1日時点の情報に基づいています)