目次

  1. 1. 親が病気で倒れると、実家が売れないことも
  2. 2. 親が元気なうちに実家の名義を変える「実家信託」
  3. 3. 孫への承継方法を指定することもできる信託

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年末年始、実家へ帰省すると、高齢の親が老いたなと感じる方も多かったと思います。親だけが暮らす田舎の家を、誰が引き継ぐのか。今年こそ、親やきょうだいと話し合ってみませんか。今回は、信託の制度を使って親が元気なうちから実家を引き継ぐ準備を「実家信託」と呼んで推奨している司法書士の杉谷範子さんに話を聞きました。

――親が老いてくると、相続の話をしておかないと、と考えるものの、そんな話をしたら親が余計に老けてしまいそうで、二の足を踏んでしまいます。

司法書士の杉谷範子さん

「相続=死」と考えると、親にそんな話をするのも失礼だし、自分もしたくないと思う子世代の方は非常に多いです。実家から離れて暮らしていると、余計に話しづらいかもしれませんね。いきなり「相続のことなんだけど……」と口にしてしまい、親は「何だ、そんなに早く死んでほしいのか」とけんかになると、親は「心のシャッター」を閉じてしまいます。その後、二度と「相続」と口にできなくなってしまいます。

最近では「争続」という言葉が浸透している分、切り出し方次第ではきょうだい(兄弟姉妹を「きょうだい」と呼ぶ事にします)からも「ひょっとして、遺産を目当てにしているのか?」と勘ぐられて、家族間でのコミュニケーションがうまくとれなくなる恐れがあります。

――うまい切り出し方はないでしょうか。

久しぶりに実家に帰って来た人は「家のことで困っていることはない?」と聞くことから始めてはどうでしょうか。子どもが自分を心配してくれていると思えると、親も普段できなかった家事を頼むだけでなく、親自身も気になっている「母さんにもしものことがあった時だけれど……」と話しやすくなるでしょう。

子ども世代がみんな実家から離れて暮らしているなら、「実家どうする」とか「お墓どうする」ということから聞いてみるといいでしょう。いきなりお金の話をするよりも、実家のことは話題にしやすいかもしれません。子どもが誰も実家を継ぐ見込みがなければ、親も子どもに負担をかけさせたくないとは考えているはずですから、いいきっかけにはなりますよね。

――「実家をどうするか」という問題は、両親が亡くなった後に話し合えばいいのではないですか?

いえいえ。むしろ、親が生きている時の方が、問題になりやすいのです。親が70代以上の方は、自動車運転免許証の返納の話と一緒にしてほしいのが、「実家の相続」についての話題です。特に、地方の実家に親だけが住んでいて、子どもたちはすでに離れた場所に生活の基盤があり、実家を引き継ぐ予定がない人たちは、すぐにでも相談してほしい話題です。

たとえば、お父さんが脳卒中で倒れて意思疎通ができない状態になってしまい、施設に入居する資金をつくるために実家を売ろうと考えるとします。でも、名義がお父さんだった場合、この物件は売れると思いますか?

――父の実印と印鑑登録証明書と不動産の権利証があれば、売れるわけではないのでしょうか。

実は売ることはできません。所有者(名義人)の意思が非常に重要です。本人の意思が確認できなければ、売却はできないのです。

――父親の意思がないと、子どもが父の代わりになって売却ができないということですか。

その通りです。お父さんが生きている間は賃貸で貸したり、売却したりすることはできません。私が相談を受けたケースでは、父親が寝たきりで、母親が亡くなったので、更地にして不動産を売却しようとしたところ、寝たきりの父の判断能力がなく、更地にしてしまったがために、固定資産税が6倍になったまま売れないというケースがありました。

――その場合、父親が亡くなるまでは、売却できないということでしょうか。

そうです。「亡くなるのを待つしかない」という状態になってしまうわけです。相続人となる人たち全員が、「父が寝たきりなので、売却してもいいんです」と言ったとしてもできません。成年後見制度を利用する方法がありますが、最近は家族が後見人になることが難しい、とか、一度後見人を付けたら原則、父が死ぬまで外せず、職業後見人の報酬がかかり続ける、など、運用面での課題が問題になっているようです。

亡くなるまで「空き家」にしておけばいい、という方もいますが、空き家にしておくことは、火事や防犯上のリスクがありますし、地域社会の荒廃にもつながります。

長寿社会による相続の難しさもあります。父親が80代で亡くなった場合、同様に80代の母親が相続人になります。その際、お父さんが亡くなった直後にお母さんも倒れてしまうというリスクもあります。母親が寝たきりになって意思疎通ができない場合、遺産分割協議ができなくなります。その場合、遺産分割協議で家族が揉めているわけでもないのに、相続財産が凍結されしまう危険があります。
つまり、親がしっかり話できるうちに病気になって意思の疎通ができなくなった時の対策をしておくことがすごく大事です。

――実家を「空き家」にしないために、親が元気なうちにどんなことをすべきでしょうか。

私が勧めているのが、信託の仕組みを使い、親が元気なうちに実家の不動産の名義を子どもに移しておくことです。「実家信託」と呼んでいます。仕組みはこうです。父親の財産を箱に入ったケーキだとします。信託とは、ケーキの中身(財産の権利)は親が持ったままで、管理するためケーキの箱(名義)だけを子どもに移す仕組みです。

贈与契約と信託契約の違い=司法書士法人ソレイユ提供

――ケーキの箱(名義)だけ持つ子どもができるのは、どんなことですか?

名義人である子どもは、実家の不動産を貸すこともできるし、売却することもできます。売却した場合、親が持つ財産権(ケーキ)は不動産からお金に変わるだけです。その場合でも、マイホームを売却した場合に譲渡所得から3000万円が控除される「マイホーム特例」も使えるので、手数料などをのぞき、ほぼそのまま親の手元に残るお金も確保できます。

――実家信託を使わずに、贈与するという選択肢もあると思います。

生前贈与した場合、贈与税がかかります。たとえば、実家を3000万円で売却した場合を考えると、贈与税は約810万円かかり、譲渡益への課税を含めると手元に残るお金は売却金額の半分程度しかない計算になります。そもそも、贈与してしまうと、その財産は贈与された人のものになるので、親のために使ってくれるかどうか分からないという不安もあるでしょう。

――信託契約の締結は、司法書士さんに相談すればいいのでしょうか。専門家へ支払う費用も気になります。

信託契約を結ぶ費用は、専門家によっても違いますが、数十万円程度かかります。
司法書士のほかに、公証役場でも作成してくれるところが増えています。費用を抑えるために、公証役場で信託契約の証書を作成してもらい、登記を司法書士に依頼する人もいます。ただし、信託では大切な実家不動産の名義を変えるので、信託契約書が不動産登記に適した内容であることが必要で、場合によっては思わぬ税金がかかってくることがあるので要注意です。

信託契約を結んだ後、法務局で登記をすると、「信託目録」を作成してもらえます。目録の中で、信託財産の管理・運用および処分などと権限をつけることができます。その中で、「実家の不動産を貸すのはいいが、売却はしないこと」などと条件をつけることもできます。

登記上は所有権が移転するが、「信託」と明記される=司法書士法人ソレイユ提供
「信託目録」に委託者の意向を記すことができる=司法書士法人ソレイユ提供

――司法書士さんを選ぶ際に気をつけることはありますか

家族構成についても含めてよく話を聞いて、信託契約を結んでくれる人がいいですね。また、信託契約を結んだ後もフォローしてくれる人がいいでしょう。大事な不動産です。ご自身でもよく勉強してみると、相談する際にも聞きたいことが出てきます。その質問にすぐに答えてくれる専門家を選んでください。

――たとえば、父親と長男とで信託契約を結ぶ場合、ほかの子どもたちに伝えておいた方がいいのでしょうか。

知らないうちに実家が長男の名義になっていると、きょうだい間で疑心暗鬼になってしまい、相続する前から争いが起きてしまう可能性があります。やはり事前に家族会議を開いて、父と長男との間で結ぶ契約ことを伝えておく方がいいでしょう。

――信託契約は委託者(受益者)が亡くなったら、契約は終わるのでしょうか?

終わるかどうかは契約で決めることができますので、終わらせないこともできます。例えば「父が亡くなったら、受益者を父に代えて母にする。母が亡くなったら、相続人で分割する」ということもできます。その場合の登録免許税は、数千円程度で済みます。信託契約は、二代目、三代目以降の先々の財産の承継方法も指定できるのも特徴で、遺言ではできない子どもから、さらには孫への資産の継承にまで親の声を届けることができるのです。

――「家族信託」は、親の認知症対策として考える人が多いです。

認知症への備えはもちろんですが、内閣府の調査によれば、65歳以上で要介護になる原因は男性の場合、脳卒中が23%と最も多いのです。そのすべての人が意思の確認ができなくなるわけではないですが、病気になった時に備えることは大切です。私自身の経験ですが、親が脳梗塞で寝たきりになったまま10年以上、介護生活が続いています。介護を担う世代は、自分の子どもの教育費や家のローンにお金がかかる人たちでもあります。家を売却できずに、子どもが費用を捻出するのはとても負担が重くなります。親はみんな子どもに負担をかけたくないと思っています。ぜひ、元気なうちにしかできない対策を今から準備を始めて、今年こそ、親子で話し合ってほしいです。

杉谷範子(すぎたに・のりこ)
司法書士法人ソレイユ代表司法書士。京都女子大卒業後、1989年東京銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に入行。2003年に司法書士登録。民事信託や会社法を駆使した相続・事業対策に熱心に取り組んでいる。

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