目次

  1. ステージ3の食道がん 9個のがんを退治した
  2. 闘病を「桃太郎の鬼退治」にたとえブログで発信
  3. ドーナツ100個持って被災地に行ったのがはじまり
  4. 50歳で始めた絵画の展覧会 売り上げの一部はがん研究に
  5. 世の中に少しでも返していかないと「人生の帳尻」が合わない
  6. 未来の社会や次の世代に自分の思いをつないでいく

――今回の入院では、新たに見つかったがんを切除する内視鏡手術を受け、8月21日に退院されました。お気持ちをお聞かせください。

私は昨年6月にステージ3の頸部(けいぶ)食道がんの診断を受けて、食道を摘出する手術か、化学放射線療法を受けるかという選択を迫られました。声帯をなくす可能性がある手術は選ばず抗がん剤と放射線を選びました。ありがたいことに、お医者様も驚く回復でした。

ことし1月から仕事を再開し、3月の定期検査で見つかった「小鬼」は内視鏡手術で退治してもらいました。4月に寛解しましたが、7月の検査でまた「小鬼」が二つ顔を出し、またまた内視鏡で退治できました。がんは合計9個あったわけです。8月の退院後、食事と運動に気をつけて、元気にサバイバー人生をはじめています。

がんになって、初めてわかることがいっぱいありますね。それこそ飲んだり食べたりすること、歩くことも、ベッドから起き上がったりすることも、しゃべることも、健常者の皆さんが当たり前に出来る全てが「奇跡だなー」と思うようになりました。「毎日、奇跡の積み重ねなんだな。なんでもない日々がみんな奇跡なんだな」と。

――がんのことは昨年7月に事務所から公表され、その日のブログに「私が癌(がん)? エッ!って感じです」と驚きをつづられていました。日々、闘病生活を発信することに迷いはありませんでしたか。

若いころ、テレビドラマの「赤い激突」(1978年)でバレリーナ役を演じたとき、2カ月ぐらいで14キロやせろって言われたんです。それで体を壊してしまい、健康や体作りに関心を持ちました。まだ健康ブームやダイエットという言葉がなかったころのことです。

その後、水泳やマラソンを始め、ダイエットや運動の本も出しました。そんな私が、がんという病を得たからといって、ブログの発信を止めるのは「ちょっと私の生き方とは違うな」と思いました。だから発信に、ちゅうちょはありせんでした。

――「鬼退治」という言葉を選んだのはどうしてですか。

私ひとりでは、がんをやっつけられないからです。お医者様の力であったり、医療技術者の力であったり、ブログで私を応援してくださるフォロワーの方々の気持ちとか、さまざまなものがそろわないと、がんを駆逐できない。そういうふうに、一緒になって敵に向かっていくのは「桃太郎」に似ているな、と思いました。

私、がんという病気を患うことで、いろんなものを得たんですね。だから、桃太郎が鬼ケ島から戦利品を持って帰ってきたように、こんどは私も世の中にお返ししていかなくてはいけないと思っています。

――秋野さんのブログには、非常に大きな反響がいまも続いています。

そうですね。ブログのフォロワーは以前、数千人でしたが、急激に増えました。いま3万7千人ほどです。がんと闘っている人、サバイバー、家族やサポーター、いろいろな方がいらっしゃいます。とても良いプラットフォーム(基盤)になりました。

秋野暢子オフィシャルブログ Smile Life-スマイルライフ-

――社会貢献活動に取り組むきかっけは2011年の東日本大震災だったそうですね。 

はい。福島県いわき市のブログ読者の女性から、この方は病院の管理栄養士でご自身も被災者なのですが、SNSで「元気を分けに来てもらえないか」と相談されました。当時は日本中、世界中の人々が「自分は何かできないか」と思っており、私もそのひとりでした。

まず、ドーナツ100個を持って現地に行き、体育館や避難所におじゃまして、被災された方々のお話をうかがいました。本当に悲惨な状況でした。それから大阪の友人たちに呼びかけ、総勢16人で5月に、お好み焼きやたこ焼きの炊き出しを2日間しました。

――ことし2月にも福島県双葉町を再訪して支援活動をしておられます。

コロナ禍や私の病気で延び延びになっていたんです。ストレッチ、頭の体操、サイン会などをさせていただきました。双葉町の婦人会の皆さんからは、私のがんが分かった時、ダルマを贈っていただきました。まだ開眼させていませんが、いずれ「目」を入れる日が来ると信じています。

――大震災に遭った東北3県のほかにも、2016年の熊本地震後、被災地に向かいました。 

被害の大きかった熊本県益城町にうかがい、健康体操や私のトークなどで交流しました。被災地訪問は東北と熊本で合わせて70回近くにはなるでしょうか。 

――抗がん剤で頭髪が抜けた子どもたちのウィッグを作る「ヘアドネーション」にも参加していますね。

ウィッグの髪の毛を寄付するには、長さが31センチ以上ないといけないんだそうです。髪が伸びるのはだいたい1カ月に1センチだから、1年間で12センチ。寄付するまでに3年かかります。私は2回参加しました。何かしら世の中にお返しできることがないかと思ったもので。

――「色彩の希望」と題した絵画とアートフラワーの作品展を、7月に東京・渋谷で開かれました。闘病中に描いた作品も展示されていました。

絵を描き始めたのは50歳になったときからです。何か新しいことをやりたいなと思って加山雄三さんに相談したら、「絵を描いたらどうだ」って。加山さんはずいぶんたくさん絵の個展をされていらっしゃるんです。

そこで絵の具やキャンバスを買いに行きました。絵は、いつ描くのをやめるかが難しい。自分で「これで完成」と決めなくてはいけないところが、芝居にすごく似ています。好きな花や蝶(ちょう)を想像で描いています。今回の作品展では、ありがたいことに出品24点中23点を買っていただき、売り上げの一部はがん研究のために寄付いたします。

――やはり社会への還元を考えられるのですね。

病気になって「人間は死ぬんだ」ということが分かりました。それでよけいに生きている間に何ができるかなあと、考えるようになりました。人は若いうちは買い物など自分のために働き、結婚して子どもを持ったりすると家族のために働く。もう少し年をとったら、こんな自分を生かしてくれた世の中に、少しでいいから返していく。そうしないと「人生の帳尻」が合わないような気がしているのです。

自分が発信をすると、いろいろな方からフィードバックがある。そのことで私自身も元気になれるし、それをまた社会に還元していく。そんな循環がいいと思っています。いま、病気のサバイバーのリハビリや運動について、お医者様や医療技術者のお力をお借りして何かできないかと考え、来年くらいには形になるように頑張っております。

――亡くなった後、「遺言」によって遺産を社会的な活動や団体に寄付をする「遺贈」について、どう思われますか。 

未来の社会や次の世代に自分の思いをつないでいくという意味で、とても良い仕組みだと思います。

私は、曽祖父か、それより前の先祖が熱心に寄付をしていたお寺があるのですが、そのお寺の系列の学校に通って、そのことが芸能界に入るきっかけになって、今の自分があります。以前からそのことをとても不思議に感じ、ご縁がつながっていることへの感謝の気持ちを強く持ってきました。

自分がしたことが未来の子どもたちの役に立ち、それがなにかにつながっていく。遺贈が社会貢献の循環になれば良いなと思っております。

――秋野さんがいつも明るくふるまう姿に勇気づけられる人が大勢います。

私、基本のんきなんです。秋野暢子の「暢」は、「暢気(のんき)」の「のん」で、「流暢(りゅうちょう)」の「ちょう」。その両方、流暢に暢気に生きるというのが私の座右の銘なんです。

(聞き手・橋本聡、撮影・伊藤菜々子)

秋野 暢子(あきの・ようこ)

俳優。1957年大阪府生まれ。中学、高校で演劇部。72年に15歳でデビューし、75年のNHK連続テレビ小説「おはようさん」のヒロインに抜擢される。TBS「赤い運命」で山口百恵さんと共演。映画、舞台、バラエティなどに活躍の場を広げ、映画「片翼だけの天使」で86年度キネマ旬報主演女優賞受賞。ダイエット本、イベント、講演会など多方面で活躍し、2010年にブログを開始。2022年、ステージ3の頸部(けいぶ)食道がんが判明。2023年4月頸部食道がん寛解。「元祖カープ女子」として、広島東洋カープを応援し続けている。
秋野暢子オフィシャルブログ Smile Life-スマイルライフ-

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